青葉区は古墳だらけって本当?
ココがキニナル!
ならやま公園はもと遺跡発掘現場だったときいていますが、今でも化石とか掘ればでてくるのでしょうか?また、深い洞窟があるようなのですが、それはいつの時代のものなのでしょうか?(ナナさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在古墳の跡地を利用した公園を掘っても何かが出土することはありえないとは言い切れないが、可能性はゼロに近い。そもそも掘るのはやめましょう
ライター:人見 静馬
横浜市青葉区、こどもの国線こどもの国駅側にある「ならやま公園」。筆者は知らなかったのだが、投稿者のナナさんによれば、元遺跡発掘現場だったという。
投稿にあった写真
ここを掘ればその時代に所縁のある何かが出土するのだろうか? というのが今回の質問。さっそく掘ってしまえば話は早いが、そもそも勝手に掘っても良いものなのだろうか。また、掘るにしても闇雲に掘るわけにはいかないだろう。深い洞窟もどの辺か確かめねば。
ここはまず、散歩がてら現地を見てみよう。
ならやま公園へ
ならやま公園は「奈良山公園」と書くらしい。最寄り駅は東急こどもの国線のこどもの国駅。横浜市と東京都町田市にまたがる自然公園「こどもの国」があるところである。
筆者は初下車。
公園名が由来とはいえ、あまり駅っぽくない名前
改札を出ると、さっそく奈良山公園の文字を発見。だいぶ近いらしい。
左に出ると奈良山公園
駅を背に左方向へ道なりに進むと・・・
右手が小高くせり上がってくる
ここから上るらしい
階段を上ってまた道なりに進む。
しばらく行くと、やがて大きな広場が現れる。遊具などは無いのだが、子どもたちも多く遊んでおり、高架下で誰もいない中ヒッソリとうらぶれている公園よりはよほど公園らしい。
とにかく広い!
小学生のたまり場になっている
投稿にあった写真の壁を発見。壁に向かってテニスの練習をする中学生
広いので、パッと見では洞窟やら遺跡の痕跡を見つけられない。写真撮影をしつつグルリと1周すると、トイレの脇に階段を発見。上に向かえるのだ。
変わったデザインのトイレ。その裏側に行くと――
階段を発見! ははぁ、この上だな・・・
階段には豊富にどんぐりが。どんぐりの何が子どもを駆り立てるのだろうか
階段を上りきると、そこは林道のようになっていた。スポーティーな格好で散歩している人とすれ違う。
段差があるので、走ると危ないかも
しかし・・・遺跡の痕跡らしきものは見つからない。深い洞窟も。一応見落としの無いように回ったつもりであるのだが。遺跡発掘現場の跡地だというのであれば、それらを説明するパネルがあっても良いだろうが、そういったものも見当たらない。見つかったのは竹の子泥棒を戒める看板と、洞窟と言うには若干無理のある穴。
どこにでも不届き者はいる
これを洞窟と呼ぶのはちょっと
そこで、大木に向かって張り手を繰り返している元気なご老人に聞いてみる。
「ここで遺跡の痕跡と深い洞窟を探しているのですが・・・」
「聞いたことねぇな?」
聞けばご老人、長いこと公園に通うことを日課にしているとのこと。そのご老人が知らない。
うーん。ここはプロの手を借りねばなるまい。
横浜市教育委員会生涯学習文化財課
もともと、遺跡の痕跡を見つけたところで勝手に掘るわけにはいかないと思っていた。そういう意味では、「横浜市教育委員会生涯学習文化財課」はいずれ許可を得るため来なければならない場所だったのである。
教育委員会はこのビルの中にある
ここの4階
課ごとに部屋が分かれている
生涯学習文化財課はだいぶ奥の方
ここで担当者に奈良山公園のことを聞くが、奈良山公園は1997(平成9)年にスポーツの場や自然環境の保護保全を目的とした「地区公園」として作られたとのこと。やはり遺跡の跡地ではないとの回答だった。
が、どうもこの辺り古墳の跡が点在していたらしい。周辺にある「市ヶ尾横穴古墳群」や以前はまれぽでも記事にした「稲荷前古墳群」なども、現在はほとんどが公園となっている。
投稿者が「奈良山公園から遺跡発掘された」と思うのも無理がなかったというわけだ。
これが点在する遺跡群のパンフレット
遺跡のあらまし
こちらも
同時代のものだという
担当者の推測によると「投稿内容にある遺跡と洞窟がある公園は“荏子田(えこだ)朝日公園”ではないか」とのこと。残念ながらパンフレットは無いらしいのだが、そこも上にあげた古墳と同時代、5~7世紀ごろのものだという。
ここなのだろうか?
さて、その「荏子田朝日公園」は、東急田園都市線・横浜市営地下鉄あざみ野駅からしばらく歩いたところにあるという。
あざみ野駅
15分ほど歩くと、目的の公園が見えてくる。
この上にある
階段は逆側にもう1つ
荏子田家型横穴
下には公園名
写真を撮ってから階段を上ると、上には非常にこぢんまりとした公園が。
小さい公園
しかし綺麗に整備されている印象
この奥に行くと、洞窟――というか横穴があるという。さて、どんなものなのか。
おお、なにやら雰囲気が・・・
横穴の由来が※クリックして拡大
ここにある穴は、古墳時代後期から奈良時代にかけての有力者の家族墓だと書いてある。当時の有力者の居宅を表現した墓で、市内では珍しい形態の横穴であるとのこと。7世紀前半のものらしい。1928(昭和3)年にはこの墓が学会で紹介され、1956(昭和31)年に発掘調査されてこの横穴のことが明らかになったとある。
そして、その穴がこれである。
分かりづらいか
手前に柵があって奥まで行けぬので、非常に分かりづらい写真となってしまった。確かに深いようには見えるが・・・。
ちなみに、公園を掘り返すのは生涯学習文化財課の方にも止められてしまったので何かが出土するかという件については未確認。しかしながら、同課担当者の方によれば、既に綺麗に整備されているので、例え掘り返したところで何も出土しないだろうとのこと。
ちょっと残念だなぁ。