鎌倉付近にやたらと多い地名「こぶくろ」の由来を教えて!
ココがキニナル!
北鎌倉から鎌倉への道中に巨福呂(こぶくろ?)と書かれたトンネル。大船駅前には小袋谷(こぶくろや)という住所も。何か関係が?私は「巨福呂」という字並びが幸多そうで好きです(みぃぃさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在の巨福呂坂辺りは、小袋谷を含むかつての巨福呂郷に含まれていた。「こぶくろ」の名前は、地名、坂名、そして建長寺に今も息づいている
ライター:田中 大輔
JR鎌倉駅から、若宮大路や小町通りを通って鶴岡八幡宮へ。八幡様に向かって左側の通りを道沿いに上って行くと、やがて右手に建長寺。
鎌倉観光の定番のひとつとなっているこのルートだが、この道筋の途中、つまり鶴岡八幡宮のある雪ノ下から、建長寺にある山ノ内に続く道筋にあるアーチのかかった坂辺りが「巨福呂坂(こぶくろざか)」だ。
青い点線がJR鎌倉駅から建長寺への道のり
そのまま道なりに進み、建長寺を越えて、JR北鎌倉駅も越えて、JR大船駅方面へしばらく歩くと今度は「小袋谷(こぶくろや)」という町名のついた地域に入る。建長寺の山ノ内から小袋谷にたどり着くまでには、台(だい)という町を通過することになる。
建長寺と「小袋谷」、JR北鎌倉駅・大船駅との位置関係
漢字こそ違うものの、「こぶくろ」坂に「こぶくろ」谷。ちょっとだけ離れた、でも歩いて行ける範囲に点在する2つの「こぶくろ」。
この2つの「こぶくろ」には、どんな関係が隠されているのだろうか。
歩ける距離だけど、別の町
巨福呂と小袋の表記についてはひとまず置いておいて、まずはその歴史を探ってみよう。
現在の小袋谷は、大船駅から少し北鎌倉側に入ったところに横須賀線の線路に沿うように広がる町で、1丁目と2丁目に分けられている。
町内を走る電車。辺りは住宅街といった趣
一方の巨福呂坂は、鎌倉七口(かまくらななくち)と呼ばれる道のひとつ。現在の坂は新道で、かつてのルートは異なっているのだそうだ。
地名にせよ、坂名にせよ「こぶくろ」の名前が登場する史料で最も古いものは、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』だ。1241(仁治2)年12月30日の項に、小袋でも巨福呂でもなく「巨福礼」という書き方で登場している。
2種類の現代語訳された『吾妻鏡』を当たったが、1冊は「こぶくろ」、もう1冊は「こぶくれ」とルビを振っている。ここでの「巨福礼」は地名として出てきていて、それ以降の時代の史料にもたびたびその名前は登場する。
このほか、1500年代に作られた『小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)』に「小袋谷」として、1600年代の『新編鎌倉志(しんぺんかまくらし)』には坂と同じく「巨福呂」として、1800年代の『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』と明治時代初期の『皇国地誌(こうこくちし)』には「小袋谷村」として掲載されているのだ。
坂の方も、初出は同じく『吾妻鏡』。つまり、どちらも鎌倉時代から存在する名前というわけだ。
特徴的な吹き抜けアーチの巨袋呂坂洞門。1993(平成5)年に作られたもの
現在の、落石よけの吹き抜け状アーチがシンボリックなあの場所は、「巨福呂坂洞門」と名前が付けられているが『吾妻鏡』では、表記が巨福呂坂だったり、小袋坂だったりとまちまちである。