鎌倉付近にやたらと多い地名「こぶくろ」の由来を教えて!
ココがキニナル!
北鎌倉から鎌倉への道中に巨福呂(こぶくろ?)と書かれたトンネル。大船駅前には小袋谷(こぶくろや)という住所も。何か関係が?私は「巨福呂」という字並びが幸多そうで好きです(みぃぃさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在の巨福呂坂辺りは、小袋谷を含むかつての巨福呂郷に含まれていた。「こぶくろ」の名前は、地名、坂名、そして建長寺に今も息づいている
ライター:田中 大輔
「小袋」が最新!?
鎌倉時代、あるいはそれよりも昔から連綿と受け継がれてきた地名ということは分かったが、表記の変遷が興味深い。
個人的には「こぶくろ」という語感に対して素直な「小袋」の字が時代の流れの中で移り変わり、現代の感覚だとちょっと読みづらいが縁起が良さそうな「巨福呂」に変わっていったと想像していた。
しかし、史料を見ると、その移り変わりはまったくの逆だ。
坂や坂にかかるアーチ部分の名前は「巨福呂」
『新編相模国風土記稿』には「古は巨福禮と書す(原文ママ。福禮は福礼の旧字)」とあるし『皇国地誌』の「巨福路ガ谷ト称セシト云フ其後(年暦不詳)小袋谷村ニ改ム(原文ママ)」からも、現在でも地名として使われている「小袋」が最も新しい表記であることが読み取れるのだ。
現在まで残る町名は「小袋」の字を使っている
今のように国や自治体が正式に地名を管理していたわけではないし、読み書きのできない人も少なくなかった時代では、漢字よりも音が優先されたであろうことは想像に難くない。
だからこそいろいろな表記が混在しているのだろうし、時代によって書物に残された表記の傾向こそあるものの、完全には統一されていない。
ただ、時代や史料によって書き方に違いはあれど「巨福礼」も「巨福路」も「巨福呂」も「小袋」も、同じ場所を指しているということは疑いようがないだろう。
では、だとしたらなぜ、小袋谷と巨福呂坂は離れた場所にあるのだろうか。
今も残るもうひとつの「こぶくろ」
その答えのカギを握っていたのは、建長寺だ。
実は、現在でも「こぶくろ」という名前が息づいているのは地名と坂名だけではない。
1253(建長5)年創建の建長寺の山号(=寺院の名前に付く称号)は「巨福山」と書いて「こふくさん」。「ろ」が省かれてはいるが、音も字面も無関係とは思えないものだ。
おなじみの建長寺。「こぶくろ」とも浅からぬ縁が!?
建長寺の担当者に山号の謂われについて取材したところ「山号は創建当時からつけられていたもので、地名からの由来で定まったと考えられています」と教えてくれた。
しかし、現在の建長寺の住所は鎌倉市山ノ内であって、小袋谷ではない。
ところが、さらに話を聞いてみると「建長寺創建のころは、ここも“こぶくろ”だったようなんです」という回答が。
総門に掲げられた「巨福山」の山号
そう、実はシンプルな話で、中世のころ、現在の小袋谷は山ノ内荘巨福呂郷の一部で、その巨福呂郷には建長寺辺りも含まれていたのだ。
そのことは『皇国地誌』からも読み取ることができる。
『皇国地誌』では、村の古老の話として「今(明治初期)の台村の字市場から建長寺辺りまでを巨福路の郷といって、そのため建長寺の山号は“巨福山”という」と紹介されているのだ。
かつてはこの場所も「こぶくろ」と呼ばれていたのだ
いつからいつまで、建長寺周辺が巨福呂郷に属していたかはハッキリしない。ただ、1685(貞享2)年刊行の『新編鎌倉志』に巨福呂郷が分けられたとあるので、江戸時代には小袋谷と巨福呂坂は離ればなれになっていたようだ。
まとめてみると、地名としての「こぶくろ」は、かつては巨福呂や巨福礼、巨福路と書かれていて、巨福呂郷として、現在の小袋谷よりも広い地域を指していたこともあった。
その今よりも広かった「こぶくろ」の中にあった坂が巨福呂坂なわけだから、2つの「こぶくろ」は関連性がある、というよりも同じものを指していたというわけだ。
取材を終えて
地名が先か、坂名が先かについては、明確な資料を見つけられなかった。
ただ「~ふくろ」という地名の由来を調べると、川に囲まれて袋状になっている土地、あるいは低湿地を指すという説があるそうだ。
となると、高台になっている建長寺付近よりも、現在の小袋谷辺りを元に付けられた地名が先行していると考える方が自然。
取材に対応してくれた建長寺の担当者も「地名が先」と認識しているそうだ。
キニナルにある通り、おめでたい字面「巨福呂」
今では少し離れた場所に残る2つの「こぶくろ」。その背景を知らないと、ちょっと不思議に思えるかもしれない。
しかし、実際は鎌倉時代の昔から、ともに存在し、ともに「こぶくろ」と呼ばれ、ともに歴史を刻んできた場所だったのである。
―終わり―
mimichanさん
2015年03月16日 11時07分
鎌倉という場所は、いわゆる「ヤツ」「ヤト」が地形的に卓越していて、昔からそういった場所に住居だたてられたりした。「袋」は、関東地方に多い「ヤト」地名であり、「こぶくろ」という地名に「谷」がつけられたりするのも、この地名(袋)が意味する本来の「ヤト」「ヤツ」の意味を新たに加えたからだろう。意味的には重複している。地名にはこのようなことはしばしば見られる。普通名詞が地名化するのは、元の意味が忘れられてからという、有名な言語学者(ロズミーニ)の理論とも合う。袋地名は、池袋、水袋、袋、沼袋など袋地名は関東には特に多い。ただし「袋」地名は、谷の場合と、水流(川)が袋状に曲流しているばあいと二種ある。都市の中の「袋町」などの道が行き止まりの場所(袋小路)は別語源。だから坂の名はあとからできたものだろう。
ハッチーKさん
2015年03月16日 10時46分
大変興味深く読ませていただいた。ここ鎌倉には昔からお寺とともに人々が住んでいた証で頼もしい限り。人がいてこそ地名が付くということでしょう。もっと古人の活動と地名の繋がりになるような記事が見たい。