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横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

根岸線桜木町と石川町界隈はかつて川だった!? 横浜発展の礎とされる「河川」が消えた謎に迫る!

ココがキニナル!

その昔、大通り公園や根岸線・首都高横羽線の桜木町から石川町までは川でした。それぞれ、中川と派大岡川だったと思う。知らない人も多いのでその秘密と当時の写真を調べて!(浜っ子五代目さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

明治30年頃から昭和50年代までは派大岡川・吉田川(中川)などの運河があったが、首都高速道路の工事などに伴い、埋め立てられて姿を消した。

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ライター:橘 アリー

最初の川は江戸時代に作られた!?



江戸時代の初めごろまで、現在の中区と南区の一部は大岡川が流れ込む入江、入海(いりうみ)だった。
これは、キニナル投稿にある「根岸線の桜木町から石川町までは川だった」という前の状態である。
 


埋め立て以前の入海の様子(『川の町・横浜』より)


以前にはまれぽで、それらに関する内容はいくつかの記事になっている(JR桜木町駅周辺に存在した幻の島「姥島」って!?など)が、今回のキニナル投稿に関係しているので、最初に「おさらい」として簡単に触れておく。

前述の入海の埋め立てが始まったのは、1656(明暦2)年のこと。
江戸の日本橋で材木商を営んでいた吉田勘兵衛(よしだ・かんべえ)が、幕府から許可を得て仲間数人と資金を出し合って埋め立て工事を開始。

しかし翌年の1657(明暦3)年に、大雨により潮除堤(しおよけづつみ、いわゆる堤防)が崩壊し、工事は一旦中止となった。その後、1659(万治2)年に工事が再開され、1667(寛文7)年に埋め立てが完了、吉田新田が完成する。

この埋め立てにより、大岡川は新田を挟んで、大岡川・中川・中村川の3本の川となった。
キニナル投稿にある中川は、江戸時代に行われた吉田新田埋め立てによって作られたものである。
 


現在の地図。このように3つの川が存在した


中川が流れていた場所は、現在の大通り公園である。
 


現在の様子。写真下部が大岡川。この先は支流となる中村川(右)と大岡川(左)
 

現在の大通り公園の様子


続いて、さらに川が作られていく様子について触れていこう。



横浜開港で川(運河)が発展していった!?



さらなる川が作られるようになったのは、横浜開港と関係している。

横浜は、江戸時代まで、戸数わずか100戸たらずの寒村(かんそん)であった。
 


寒村だったころの横浜村の様子の絵(『横浜の歴史』より)


その後、1854(安政元)年に、横浜村で日米和親条約が結ばれた。そして1858(安政5)年には神奈川で日米修好通商条約が結ばれ、1859(安政6)年に横浜開港となる。

この一連の動きの中で、寒村だった横浜村は、国内外からやってくる多くの人や船・物資などを受け入れるために、開港場として整備されていく。

開港場となったのは現在のJR関内駅から海側。関内地区と呼ばれる所だ。ちなみに線路の反対側の吉田新田は関外地区と呼ばれている。
 


現在の地図。赤線の下が関外で上が関内


開港場には、船の運航や日本人と外国人との衝突を避けるための関門を設けるためなどの理由で、いくつかの川(運河)が作られた。
 


1858(安政5)年、日米修好通商条約が結ばれたころの横浜(『横浜の歴史』より)
 

1859(安政6)年~1889(明治22)年までの様子(『横浜の歴史』より)


上の写真の緑の丸のところが堀川で、これは日本人と外国人との衝突を避けるための関門を設けるために、洲干島(しゅうかんじま、宗閑嶋とも書く)を掘削して作られた川である。
 


現在の堀川の様子


そして、上の写真の赤丸のところが、キニナルにあった派大岡川(はおおおかがわ)で、黄色の丸のところが桜川である。桜川は、1872(明治5)年に命名された。
 


現在も桜川は橋の名前として残されている
 

桜川は、現在の桜川橋の辺りから桜木町方面に流れていた
 

派大岡川は桜川橋の辺りから関内方面へ流れていた

 


現在の地図だとこのあたりが派大岡川だった

また、一旦は作られたがほどなく姿を消した川もあった。
それは小松川と呼ばれた川で、桜川が命名された同じ年1872(明治5)年に「悪水路である」という理由で、高島嘉右衛門(たかしま・かえもん)によって埋め立てられている。
 


中央のL字型の川が小松川(『川の町・横浜』より)


このように、横浜が開港したことにより、洲干島は外国人居留地や港がある街として発展して行った。そして、元町との間に堀川が作られ、吉田新田との間は派大岡川が流れるようになったのだ。
 


派大岡川・堀川の様子の地図(『川の町・横浜』より)


地図の赤丸の所が堀川。川の上が外国人居留地で下が元町。地図の黄丸の所が派大岡川。

それでは続いて、関外地区、吉田新田の中の川について調査する。