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居酒屋チェーンの「養老乃瀧」、1号店は横浜って本当? 

ココがキニナル!

養老乃瀧1号店は横浜に誕生したらしいです。そこは今はどうなってるのか調べてほしいです(baybridgeさん)/チェーンとしての縛りが緩いのか店舗毎のオリジナルメニューが多いような気が(コウコウさん)

はまれぽ調査結果!

1956年に曙町に開店した養老乃瀧1号店は、定食屋の名残がある大衆居酒屋だった。現在は各店舗個性があるチェーン居酒屋である

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ライター:山崎 島

日本全国にあるけれど、実は横浜に1号店がある、というお店は結構多く、過去にもはまれぽでも取材した。
 


今はなき大倉山のミニストップ1号店
 

1号店のデニーズ上大岡店は40年以上前から営業中
  

みなさんご存じ、大手全国チェーンの居酒屋「養老乃瀧」も、なんとそのうちの一つなんだとか。なんかちょっとうれしいなあ。今回は横浜でスタートを切った「養老乃瀧」の歩みを振り返りつつ、チェーン店には珍しい、店舗ごとの「オリジナルメニュー」をご紹介していきます。
 


で池袋へ


 


池袋の養老乃瀧本社
 

駅からとても近いのが良い
 

ビルの1階は「一軒め酒場」の店舗が
 

この日お話を伺ったのは企画部・部長の長島一誉(ながしま・かずたか)さん
 

フォーマルさとフランクさを絶妙なバランスでお持ちの、とっても紳士なお方でした。よろしくお願いいたします。

ではまず、養老乃瀧とはどんな企業なのか。

養老乃瀧株式会社(資本金:5154万円、従業員数:1600名<パート・アルバイト含む/2015年[平成27]年3月現在>)はフランチャイズ(FC)店を含め、全国に約560店舗ある大きな会社。

創業は1938(昭和13)年、創立者である「木下藤吉郎さん」が長野県松本市に「富士第1養老食堂」として開業したのが始まりだ。
 


居酒屋ではなく、大衆食堂として人々に親しまれていたそう
 

食堂を開業する前からもいろいろな商売をされていた「木下」さん。お名前は本名ではなく、貧しい生まれから這い上がった豊臣秀吉の生きざまに感銘を受け、秀吉が初期に名乗っていた「木下藤吉郎」をビジネスネームにしたのだとか。

現在のグループポリシーは・・・
 


「親孝行と勤勉」
 

シンプルだけど、もぐっと背筋が伸びるポリシー。「養老乃瀧」という名前も、この親孝行と勤勉の精神が込められていて、岐阜県養老郡養老町にある「養老の滝」の伝説をモチーフにしている。

この伝説を知らない方に、四コマ漫画を描いてみた。


 

 

 

はい、分かりにくい
 

ロゴの「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」も、この伝説からきている
  

同社はかつて、社員に父と母の日は必ず手紙を送るという社員教育をしていた時期もあったそう。
現在は、本社下にある養老乃瀧店舗内の一角を、理由があり学校に通っていない子どもたちが通うフリースクールに提供するなど、多様な社会貢献プロジェクトにも参加している。
  


地域に密着した活動も(養老乃瀧グループHPより)
  

人として大切にすべきことを見失わずにやってきたからこそ、こんなに大きな会社になったんだなあ。私も見習わねばです。

長野県での1号店開業後、木下藤吉郎さんの挑戦する精神は松本だけでは飽き足らず「もっと商売に広がりを持たせたい」ということで、関東への進出を決め、1956(昭和31)年横浜市中区、現在の曙町に第1号店を作った。
 


曙町の「養老乃瀧」第1号店のこれまた貴重な1枚
 

メニューを見ると、居酒屋、というよりはまだ定食屋の面影が強い


1895(明治28)年創業の荒井屋さんによると、隣にありました、とのこと
 

かつての養老乃瀧の店内写真(年代不明)。中央の女性が美人
 

店舗で使っていた食券機
 

曙町の第1号店はこの後ビルに建て替えたそう。詳細な時期は不明とのことだが、1980年代に建物自体を売却し、その時にお店も閉店した。

しかし、第1号店の閉店以降も中区花咲町に第2号店、3号店は野毛小路にと、横浜市内に次々と店舗を展開していった。

「横浜から始まり、5号店は川崎、7・8号店は鶴見というように、京急線と京浜東北線に沿って上京していく形になりましたね」と長島さん。何故横浜に第1号店を使ったのかは、当時の資料がほとんど残っていないため、残念ながら明確な理由は分からなかった。
 


養老乃瀧が展開していた「パブ」業態のバブリーな店内。たまらん
 

花咲町の2号店は、2005(平成17)年に系列店の「だんまや水産」に業務形態を変えて、現在も営業を続けているそうで、そちらは後ほどご紹介する。

そんなチェーン店の「先駆け」もいいとこな養老乃瀧。店舗ごとにオリジナルメニューが違うという噂についても伺ってみた。「同チェーン店では、店舗ごとにおすすめメニューを置いております。きっとそのことではないでしょうか。店舗によって取扱いのない場合もありますが・・・」と長島さん。

養老乃瀧グループは直営店よりもフランチャイズ加盟店の方が多いのが特徴。まだフランチャイズという言葉ではなく「暖簾分け商法」という言葉が使われていた時代から、店を増やしていこうという経営方針だった。資料が残っていないというので理由は明確ではないが、当時の画期的な商法だったのではないだろうか。
 


白黒写真時代に第65号店
 

新規オープンの宣伝車
  

牛丼専門店も開業したことがあった養老乃瀧グループ
 

一部地域を除きサッポロビール工場で作られたプライベートブランドのビールも販売した
 

「同社の社員が独立して、FC契約をすることも多いです。中には家族経営でやっている店舗もありますから、地域や店舗によって、かなり特色が違うと思います。基本のメニューはどこの店舗も共通しているのですが、同社が仕入れてくるその時々の食材を直営店・FC店に卸し、各店舗でどのように調理するかを決めることがあります」とのこと。

各店でおすすめメニューのレシピが見られるよう、グループ内の店舗向けポータルサイトがあるそうだが、盛り付け方などに各店舗の特色がでる。
  


なるほど
 

チェーン店なのにオリジナル色が強いというのは「規制が緩い」のではなく「各店舗で選択できる選択肢が多い」からなのね。ふむふむ。

大手チェーンの歴史や仕組みについて、貴重なお話伺うことができた。古い手書きの資料から一生懸命探してくださった、長島さんに感謝です。養老乃瀧は一日にしてならずなんだなあ。