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横浜の酒場めぐり。絶品ふぐ料理を格安で、90年以上の歴史を誇る市民酒場、戸部町「常盤木」編

ココがキニナル!

以前のレポートの「市民酒場」のように、ノスタルジーを感じさせる居酒屋が何件もあります。ぜひレポートをしてください(はるちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今回は西区戸部町にある市民酒場「常盤木」におじゃました。ノスタルジーはもちろん旨さ、安さ、温かさを存分に感じられるお店だった。

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ライター:万田 ケサトシ

「呑む前に呑まれろ」。どうも万田です。
のっけから謎めいた散文で失礼しました。
今回のキニナルは私のライフワークである「呑む」ですが、呑まれてはダメだということでウコンとへパリーゼを併用して行って参りました。
 


市民酒場「常盤木」



JR桜木町駅北改札から徒歩8分、横浜市営地下鉄高島町駅から徒歩7分。西区戸部町にある市民酒場「常盤木」へ。
 


レトロな佇まいの建物が並ぶ
 

周辺はにぎやかな桜木町駅界わいから少し横浜駅方面へ進んだ、岩亀横丁という、とても静かなところ。

野毛でもない、みなとみらいでもない。個人的にもかなりキニナルエリア。周辺の様子は過去に掲載された「はま旅・戸部編」を参照いただきたい。
 


この暖簾の向こうはきっとパラダイス・・・
 

お店に着いたのは平日の午後5時過ぎ。お天道様が出ている時間帯から呑める幸せを感じながら、ほぼお店のオープンと同時に入店。
 


メニューの張り紙に一升瓶と四号瓶のマリアージュ
  

ガラガラっと引き戸の扉を開けて、まず店内に入って見えてくるカウンター席のこの絵面。期待通りの展開でウキウキ!
  


小上がりの席もある
 

万田がおじゃました時には既に3人組の紳士たちが宴を始めていた。ご主人の手が空くまでしばしお店見学。
 


漢は背中で語ります
 

お店のオブジェ
 

『酒場放浪記』の吉田類先生も来ている
 

ハリセンボンも
 

同行したはまれぽ女子新入社員にお酌をおねだりして殿様気分
  

店内でキョロキョロしていたところ、ご主人からの「ビールでも呑んでちょっと待っててね」というお言葉に甘えて、まずはキリンラガーの大瓶(550円)をいただきます。
  

 
ビールが身体中にしみていく
  

30歳を過ぎたあたりから瓶ビール派なんです。ちびちびとやっていくアノ感じ。注ぐ注がない、注がれる注がれないのアノ駆け引き。
 


お通しは高野豆腐
 

出汁がたっぷり染込んだ高野豆腐がビールをどんどん進めてくれる。大瓶550円はうれしいなぁ~。ちなみにキリンラガーの生ビールは450円。レモンサワーや緑茶割りなどは350円。日本酒の白鹿辛口は300円。なんて呑兵衛想いのお値段なのでしょう。
 

 
市民酒場とは!? お店の歴史をご主人に伺う



ご主人が調理の合間をぬってカウンターから出てきてくれました。まず2ショットの写真をお願いしたら・・・
 


ご主人が携帯を取り出して
 

石原軍団みたい
 

携帯をパカッとひらいて「カッコいいでしょ」と写真館で撮ったという画像を見せてくれた。スーツがバシッとキマって確かにダンディー過ぎる!
  

 
呑みながら恐縮です(汗)
 

では改めてご紹介を。

常盤木の3代目ご主人、荻原哲郎さん。1950 (昭和25) 年生まれの生粋のハマっ子。

「ゼロからカタチを作るのが好き」という荻原さんは、常盤木を継ぐまでに40年間、横浜中華街の老舗料理店で点心作りに携わり、レシピを開発するなど工場長としても務めていた。
  

 
お母さまの信子さん(左)、奥様の久美子さんと3人で切り盛り
 

取材中はお客さんのオーダーをこなしつつ、何度もカウンターから万田のところに話しにきてくださった。

お客さんへも「遅くなっちゃってゴメンね~」など気さくに話しかけていた。その様子からとても優しいお人柄というのがうかがえる。
 


お店の歴史について伺う
 

常盤木は関東大震災の翌年1924(大正13)年に「酒屋」として西区戸部町の現在の場所で荻原さんのお爺さまが創業。

「常盤木」という屋号は当時から使われている。
常盤木(ときわぎ)は常緑(一年中葉を付けていること)を意味し、いつまでも繁栄するようにという想いが込められているそう。
  
その後、1941(昭和16)年ごろになると酒屋だけでは「うまみ」が無いということで、現在のような飲食店としての常盤木がスタート。
 


1949(昭和24)年ごろの外観(画像提供:常盤木)
  

このように酒屋から飲食店に発展したのが「市民酒場」である。ちなみに川崎では「勤労酒場」、東京では「国民酒場」と呼ばれているそう。

さらに時が経ち1951(昭和26)年ごろになると、当時は高級料亭でしか食べられなかった「ふぐ」を労働者の人にも安く食べてもらおう! ということで、ふぐの調理が免許制度になった時に市民酒場の人たちが免許をとったそう。
  


1955(昭和30)年ごろのにぎわう店内(画像提供:常盤木)
 

常盤木は造船所で働いているお客さんが多く、平社員の人、下請けや孫請けの業者の人たちにも食べてもらえるようにと安価で提供していた。

今回は万田にもふぐ料理をご用意いただいたので、ふぐれぽは後ほど。
  


1958(昭和33)年ごろの信子さん(画像提供:常盤木)