映画『コクリコ坂から』に登場した142年の歴史を持つ代官坂の「宮崎生花店」とは?
ココがキニナル!
元町の代官坂の途中にある、「コクリコ坂から」にも登場した老舗の花屋「宮崎生花店」が最近カフェを併設したとのことなので、ぜひ取材してほしいです!(ロイヤルさん)
はまれぽ調査結果!
宮崎生花店は2015年2月に改装し、カフェ「HAHACAFE」をオープン。花があふれる店内は居心地よさ満点だった!
ライター:ムラクシサヨコ
横浜開港の14年後に創業。日本で最も古い洋花店の一つ
宮崎生花店は1873(明治6)年創業。なんと142年の歴史を持つ生花店だ。創業したのは、横浜開港の14年後。横浜に住む外国人が増え始め、洋花の需要が出てきたのを見込んで、初代が生花店をスタートさせた。日本における最も古い洋花店の一つだ。
代官坂の中腹にある宮崎生花店
現在の建物は関東大震災の直後に建てられたもの。幸運なことに空襲の戦火を免れ、90年前の外観はほぼそのままに、歴史を守り続けている。店舗は、1963(昭和38)年ごろの横浜を舞台にしたジブリ映画『コクリコ坂から』のなかで、主人公の海と俊が2人乗りの自転車で坂を下るシーンにも登場する。
2015(平成27)年2月には、店の内部を一部改装して「HAHACAFE」をオープンした。現在は生花店とカフェを併設したスタイルで、4代目の宮崎弘一(みやざき・こういち)さん、5代目の宮崎寛己(みやざき・ひろみ)さん親子が店を切り盛りしている。
では、さっそく店内へ。
入り口に色鮮やかなポインセチア
フレッシュなお花がたくさん!
クリスマスのリースもそろっています
宮崎生花店の歴史について、インタビュー
花に囲まれた店内で、4代目の宮崎弘一さんにお店の歴史についてのお話を伺った。
横浜の歴史の生き証人的存在の宮崎弘一さん
宮崎生花店の創業は1873(明治6)年。当時は花といえば菊や朝顔などしかなかったのではないだろうか。
「今のように市場があるわけではないすからね。どうやって種を工面したんでしょうかねえ。初代がどこかから手に入れて、農家さんに育ててもらったようですよ。初代は蒲田のほうの出身で、当時あのあたりには花作りの農家があったそうです」
外国人が増えてきた横浜で、洋花店の需要は多かった。元町にも何店舗かあったが、現在も残るのは宮崎生花店のみだ。
弘一さんがこの花屋で働き始めた、終戦直後のころのお話も伺った。
約90年前、関東大震災の後に建てられた店舗が今も健在
終戦後に撮ったと思われる店舗の外観写真
「私が若いころは、代官坂を登った山手のあたりに住んでいるのは外国人ばかりでしたよ。今も外国の方は多いですけれど、当時はほぼ全員が外国人でした」
「ドイツ人が多かったですね。西洋の方は花を贈るときに相手に直接届けさせるんです。なので、配達が多かったですね。軍関係の人が多かったので、男性ばかり。女性が少ないから取り合いみたいになってね。1人の女性のもとに何人もの男性からの花が届くわけですよ」
「思い出深いのは、何度も配達を頼まれたことがあるドイツ人のお客さんが、ある日わざわざ店を訪ねてくれて『老後は祖国で過ごすことに決めたので、国に帰るから、お別れを言いにきた』と。そんなこともありましたねぇ」
終戦後の店の前の写真。まだ道路が舗装されていない
弘一さんが働き始めたころは現在のように花の市場がなかったので、花は農家から直接仕入れていた。港南区のあたりにユリを作る農家さんがあり、朝の4時ごろにカンテラをもって仕入れに出かけたのだとか。
「今は市場で何でもそろいますからね。なので特別なことはないですが、仕入れのときは、お客さんの好みを考えながら花を選ぶようにしています」
これからの季節はクリスマスを前に大忙し。かつては客のほとんどが外国人でクリスマスツリー用のモミの木が300本売れたこともあったのだとか。昔はクリスマスが終わると年内の仕事はおしまいだった。しかし、現在は外国人が減り、日本人のお客さんが増え、クリスマス後もお正月用の花を販売している。
キニナルカフェ内部に突撃!