野毛の伝統といわれる流し芸ってナニ?
ココがキニナル!
今年、3年ぶりに野毛で再開された柳通り流し芸ってどんな催しなの?(はま爺さんからのキニナル)
はまれぽ調査結果!
三味線や和楽器の音色に合わせて唄あり、踊りあり、歓談あり。演芸を身近に感じさせる、下町情緒たっぷりのイベントだった。
ライター:木全 圭
野毛の伝統は大道芸のみならず。いざ、流し芸見物へ・・・
野毛と聞けば、まっ先に大道芸フェスティバルを思い浮かべてしまうけれど、下町風情を盛り上げるコンテンツはそれだけにあらず!
伊勢山皇大神宮の門前町としてにぎわってきた野毛には、昔ながらの格子状の町並みに、これまた昔ながらの趣を残す飲食店が軒を連ね、さらに「流し芸」と呼ばれる花街由来の文化が根付いているそうなのだ。
ちなみに流し芸とは、芸人らがお座敷などに出向いて、あるいは呼び出されて行う“出張演芸”のこと。時代劇にて、そんなシーンを見たことがある人もいると思う。
あのアナクロな慣習を現代に残すべく、野毛柳通り会では毎年初秋の頃、「柳通り流し芸」と銘打ったイベントを催している。というわけで、その模様をさっそくお伝えしよう。
柳の木が夜風になびく・・・そんな趣きたっぷりな野毛の町並み
こんなレトロさも町の魅力!
多くのファンに見守られ町流しが始まった
2010(平成22)年の開催は10月8日(金)。飲み屋がもっとも活気づく、いわゆるハナキンである。日暮れ間際に柳通りは車両止めがなされ、実行委員の本部前にはすでに法被(はっぴ)や着流し姿の芸人たち、そして多くの見物人が集まっていた。
主婦Aさん:
「毎回見に来てますよ。一昨年、昨年が中止だったから、もう開催されないんじゃないかって心配してたの」
主婦Bさん:
「私は、彼女に誘われて初めての参加。町の雰囲気も懐かしさがあって、とても楽しみよね」
年配の女性グループに声を掛けてみると、そんな返答。普段の野毛は、酔っぱらいのサラリーマンだとか、競馬帰りの面々が多い町だけど、さすがに今日は目にする顔ぶれが上品である。
そうこうするうちに、開会の挨拶が行われ、18時半、富山県から招かれた越中おわら節・高尾会による町流しがスタートした。三味線、胡弓(こきゅう)、太鼓の音に合わせて踊り手が通りを練り歩く。見物人たちもゾロゾロと移動を始める。撮影のために立ち止まると、あっという間に人垣に埋もれてしまう有り様だ。
高尾会が町流しを始めると、行きがかりの通行人 でさえも足を止めて見入っていた |
そこで、いったん人波をやり過ごすために避難した先が『もみぢ菓子司舗』であった。神奈川県の指定名菓、大銅鑼(おおどら)焼きで知られる同店は、1946(昭和21)年創業という老舗。出迎えた店主に「盛況ですね」と尋ねてみると、
「野毛は、戦後、闇市のおかげで伊勢佐木町や元町に先んじて復興した町と言われているんです。その頃の町民の団結力が、今も受け継がれているんでしょうね」
とニコリ。まるで時代劇に出てくる長屋のご隠居さん的なその笑顔に、素直に納得せざるを得ない筆者だった。
『もみぢ菓子司舗』二代目店主の西村茂さん
昔ながらの店構えのせいか、つい長話に花が咲いてしまった