伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」が復活したって本当?
ココがキニナル!
野毛にあった伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」が復活したそうですが、どんな様子でしょうか。一般の人でも行くことができますか?(まるもりさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
かつての「ちぐさ」にあった店の看板やスピーカー、テーブルなどもそのまま復活!若い人でもはじめての人でも、気軽に訪れてほしいとのことでした。
ライター:河野 哲弥
東日本大震災からちょうど1年
東日本大震災発災からちょうど1年がたった3月11日(日)、かつて中区野毛町にあったジャズ喫茶「ちぐさ」が、同町にある2階建ての空き店舗(旧・コロンビア)にて5年ぶりに復活した。今までにも、期間限定の復活イベントなどはあったが、常設店舗としての取り組みは今回が初となる。
新住所は野毛町2-94、新しくなった「ちぐさ」の外観
横浜市は平成23年度、商店街の空き店舗を利用し、震災復興支援に貢献する事業者に対し、開業に必要な経費の一部を補助する「震災復興支援商店街空き店舗活用事業」を行っている。
今回の「ちぐさ」復活は、同事業の認定を受けたもの。そのため、震災のあった3月11日を選んで復活を遂げたという訳である。今後は、被災地の方の雇用や、被災地との文化交流などを進めていく予定となっている。
とは言っても、かつての「ちぐさ」を知らない方も多いだろう。そこで、同店を運営する「ちぐさ会(元常連客による団体)」の会長、遊佐(ゆさ)さんに、以前のお店の様子を説明していただくことにした。
日本のジャズ喫茶の草分け「ちぐさ」とは
ジャズ喫茶「ちぐさ」は1933(昭和8)年、当時20歳だった吉田衛(よしだ・まもる)氏によって、野毛一丁目に誕生した。
新店舗の前で、当時の思い出を語る遊佐会長
まだ日本に馴染みのなかったジャズが流れる喫茶店は、多くの訪問客に影響を与え、若き日の日野皓正、渡辺貞夫ら一流ジャズミュージシャンも、常連客として通っていたという。
かつての「ちぐさ」の跡地近辺、面影は感じられない
そんな吉田氏は、常連から親しみを込めて「オヤジ」と呼ばれていたそうだ。「オヤジ」が好んでいたのは、ビル・エバンスやスタン・ゲッツなどの白人奏者だったという。そうした曲が、同店の名物となっている大型スピーカーから次々と流れてくるのを、「ちぐさの音」と称していたらしい。
生前の「オヤジ」こと吉田氏
その後、1994(平成6)年、吉田氏は他界する。「ちぐさ」はその後も親戚や常連客などの手で続けられていたが、2007(平成19)年、野毛の再開発計画により惜しまれながら閉店に至った。
あの名物看板も復活
しかし「ちぐさ会」は、「いつか復活を」という夢を抱き続けていたようだ。同店のテーブルや看板は、野毛地区の地域振興を担う施設「野毛Hana*Hana」にて保管。
2010(平成22)年10月には、同施設内で、単発的な開店イベントなども行っていたという。そして昨年の2011年11月、市による「震災復興支援商店街空き店舗活用事業」のことを知り、応募したという。 そして、いよいよ当日を迎えたというわけだ。
では、いよいよ店内に入ってみよう。