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かつて動物園や植物園があった横浜の「ガーデン山」ってどんなところ?

ココがキニナル!

三ツ沢下町の通称ガーデン山は、昔は本当にガーデンだったと聞いたのですが、その当時の名残はあるのでしょうか。また、当時の写真など残っていたら見てみたいです(ときさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

大正末期から昭和にかけて、ガーデンは存在した。ガーデンを手がけたかつての大澤氏の邸宅の名残は公団住宅「ガーデン山団地」の庭園などに見られる

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ライター:ほしば あずみ

当時の横浜ガーデンの様子は?

(つづき)

証言や戦前の地図によれば、門を入ってすぐに噴水があり、その奥に大きな温室があったようだ。
洋ランやシクラメンなどの季節の花は、伊勢佐木町のデパートに園芸部を出店して販売し、桜の名所としても親しまれていたという。
 


1921(大正10)年秋の種苗カタログ。「10」がローマ数字「Ⅹ」でも記されている
 

ブーゲンビレアやランタナ、茉莉花(ジャスミン)など、ハイカラなラインナップ
 

温室の屋根と噴水が見える当時の写真
 

1920(大正9)年に始まり今なお毎年開催される横浜開港記念バザーにも出店していた


カタログが「ガーデンタイムス」だったり、バザーの看板が「FLORIST YOKOHAMA GARDEN」であったりと、英字が入っていることから先進的な印象をうける。

戦前はにぎわいを見せていた横浜ガーデンだったが、時代は太平洋戦争へ突入する。戦時下、資材燃料不足などから大澤氏は横浜ガーデンを閉鎖し、土地の一部を人手に渡した。
そして1945(昭和20)年の横浜大空襲によって、横浜ガーデンはそのほとんどを焼失。幸いにもガーデン山周辺で焼け残った2軒のうちの1軒に大澤邸の一部が残ったため、今でも大澤家の方はその場所に代々住んでいるのだという。
  



当時の名残はあるの?
 
その後のガーデン山はどのような歴史をたどったのだろうか。
戦後のガーデン山を知る、ガーデン山自治会の次期会長土屋さんと次期副会長須貝さんに話を伺った。
 


長年地元で店を営んでいる土屋さん(左)と、定年後に地域活動をするようになった須貝さん
 

「旧大澤邸は戦後一部売りに出され、一時は買い受けた人が整備を進めていましたが、その人が事業半ばで急逝したため、土地が日本住宅公団(現在の都市再生機構)に売り渡されました」(土屋さん)ガーデン山商店会に所属する、たばこ・クリーニング店「まつや」店主の土屋さんは72歳。売り渡される前の旧大澤邸の中に入った事があるそうだ。

「当時、守衛さんの子どもが同級生だったので、頼んで入れてもらったんです。大きな池があって魚も釣れて。立派な石灯篭もありましたね」
 


戦前の大澤邸正門