ぬるいビールが出るBAR!?天王町のORANGE COUNTY BROTHERSに突撃!!
ココがキニナル!
天王町のORANGE COUNTY BROTHERSというBARがキニナル。HPには不安なことが書いてあります。ホントにビールがぬるいのか?(ミチロウさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1970年代最強といわれたライヴバンドのリーダーが経営するライヴハウスだった! 今は飲み物のみの提供だが、ビールはしっかり冷えている。
ライター:千葉 こころ
プシュッ! トクトクトク・・・シュワ~
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ・・・ぷはぁ――――――。
ライター・千葉の一日を締めくくるシフクのオト。
暑い夏はもちろん、風呂上りや乾燥したこの季節にも、キンキンに冷えたビールは渇いた喉に心地よい潤いを与えてくれる。仲間と集まればとりあえずの一杯。疲れた身体にご褒美の一杯。落ち込んだ時に慰めの一杯。どんな時にも傍らにはビールがある。
そんな、命の水ともいえるビール(大袈裟)が、ぬるいまま提供されるとのこと。BARなのに!? 半信半疑のまま、早速キニナル投稿にあったORANGE COUNTY BROTHERS(オレンジ カウンティ ブラザーズ)のホームページをのぞいてみた。
どれどれ・・・ん?
本当に書いてあった!!
カラオケスナックの余韻を漂わせながら、乾き物のつまみで、ぬるい時もあるビールを飲むBAR。しかも週末はライヴ付き。キニナルじゃない。これは行って確かめるしかないでしょ。
心の底ではぬるいビールが出ないことを祈りつつ現地に向かった。
異世界への扉。その向こう側
相鉄線天王町駅で下車し、改札を抜けて左手(横浜駅方面)洪福寺に向かって大通りを5分ちょっと歩く。
あった!
洪福寺交差点よりほんの少し手前。ちいさいけれど、鮮やかなその色は遠目からでもはっきりと確認できた。
洪福寺交差点側から見るとこんな感じ
看板のすぐ横にある鉄製の階段を3階まで上り、左手の扉を開ければ、ついに投稿にあったBEE・・・じゃなかった。BARとご対面だ。
てっぺんまで駆け上がると・・・
異世界につながる扉がある
少し重たいその扉を引くと、アメリカン・ミュージックが耳に飛び込んできた。恐る恐る店内に足を踏み入れる。そこには一見乱雑ながらぬくもりのある「異世界」が広がっていた!
壁一面に貼られたライヴ告知のポスターと
無造作に積まれた楽器やアンプなどの機材がお出迎え
「適当に座ってよ」。声のする方を見ると、年配の男性が笑顔で迎えてくれた。
70年代を代表する男
声をかけてくれたのは、店主の飯田雄一(いいだゆういち)さん。ロックに青春を捧げた人なら、その名前に聞き覚えのある方も多いのではなかろうか。
そう、1970年代最強のライヴバンドと称されたロッキン・カントリー・バンド「ORANGE COUNTY BROTHERS(以下、O・C・B)」のボーカル&ギターでリーダーでもある、あの飯田雄一氏だったのだ。
飯田雄一さん。赤をさらりと着こなせる、かっこいいロックオヤジ!
O・C・Bは1974(昭和49)年5月、久保田麻琴(くぼたまこと)プロデュースにより、バンド名と同名のアルバム「ORANGE COUNTY BROTHERS」でトリオ・レコードからデビュー。日本のロック界に本格的なカントリー・ミュージックを投じ、カントリーロックの先駆けとして世間を席巻した。
翌年の1975(昭和50)年に同レーベルから2ndアルバムを発表後、日本コロムビアレコードへ移籍。その後2作品を立て続けにリリースするが、1979(昭和54)年に突如解散し、表舞台から姿を消す。しかし、1999(平成11)年には未発表のライヴアルバム、2013(平成25)年には復刻版がリリースされるなど、未だ根強い人気を誇る。
そんなバンドをリードしてきた飯田氏こそ、「ザ・ブーム」、「ディック・リー」などの有名ミュージシャンをプロデュースしてきた久保田麻琴氏に「真の天才」とも言わしめた、70年代を代表する天才ロッカーの一人なのだ。
店内で3rdアルバム「クルージン」のポスターを発見
アメリカへの強い思いがうかがえる
そんな彼が今なぜ、私の目の前にBARの店主として座っているのだろうか?
飯田氏に、今に至る経緯を伺ってみた。