横浜のディープな街「福富町」の歴史とは?
ココがキニナル!
ディープな韓国料理屋と風俗店の立ち並ぶ中区福富町が気になります。この町の歴史を調べてください。(ときさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
米国から返還後、歓楽街へと成長するも、バブル崩壊を境に外国人経営の店が乱立。福富町の歴史には日本経済の流れが色濃く反映されていた。
ライター:篠原 章公
横浜でも有数の歓楽街としてその名を知られる中区・福富町。
最近では日本人が経営する商店の減少とともに韓国を始めとする外国人経営の店が台頭し、元から存在した風俗街としての顔とあいまってひときわディープな街となっている。ここ数年だけでも違法スロット店の摘発や殺人事件なども起こっており、「危ない街」「近づきがたい街」という印象がある方も多いのではないだろうか。
現在一般に「福富町」と呼ばれている地域は福富町東通、仲通、西通の3つの地域から形成されており、この名称は横浜市の区制施行後、1928(昭和3)年の地番整理以降使用されているものだ。
今回の調査エリアはこの範囲
現状を把握するため、いざ現地へ
人々が行き交うイセザキモールから脇道に入って進むと、ほどなくして福富町の入り口に建てられたモニュメントに行きあたる。そのデザインは日本的とは言い難く、早くもこの街の特異性を感じさせられる。
メインストリートの入口には「福」の文字が目を引くゲートが
筆者が現地に着いたのは平日の午後2時前後だったのだが、営業している店は風俗店を除けばごくわずか。人の往来もまばらで、たまに聞こえてくる言葉は外国語ばかり。目に飛び込んでくるハングル文字を尻目に、現状を把握するべく町内を歩きまわる。
昼間の時間帯、メインストリートの往来はまばらだった
こういった韓国料理店が町内に点在している
韓国料理店だけではなく、日本人向けでないような店もいくつか見られる。下記写真の店は取材後にネットで検索をしてみるも、詳細はおろか、店名すら出てこなかった。
韓国人専用のネットカフェだろうか
この町の歴史とは? 聞き込みを開始
数十分歩き回っただけでお腹いっぱい気味になってしまった筆者だが、そんな中、この地で長らく商売をしているというYさん(女性・70代)に、昔の街の様子について話を聞くことが出来た。
「ここらへん一帯は空襲で焼け野原になって、そのあと『かまぼこ兵舎』ってのがずーっと建ってたらしいよ。私がここに来たのはアメリカから返還されたあとだけど」
Yさんの話に出てきた「かまぼこ兵舎」とは、米軍が日本に持ち込んだ半円筒形の組み立て式兵舎のこと。
文献『横浜の空襲と戦災』によれば、戦前は普通の商工地区であった福富町だが、戦災で焼け野原になったまま終戦を迎え、米軍に接収された関内地区の中でも福富町周辺には米軍兵士が暮らす『かまぼこ兵舎』がずらりと建てられたという。
戦後、市内中心部に建てられた『かまぼこ兵舎』群(『横浜の空襲と戦災』第5巻)
米軍から土地が返還されたのは1952(昭和27)年。では、その後の街の様子はどうだったのであろうか。