鎌倉時代に活躍した武将たちの熱い思いに触れる旅、はま旅Vol.111「南万騎が原」編
ココがキニナル!
横浜市全駅全下車の「はま旅」第111回は、相鉄いずみ野線「南万騎が原」の旅。鎌倉時代に活躍した武将たちの熱い思いに触れた。
ライター:ナリタノゾミ
「はま旅」のコーナーも111回を迎え、いよいよめぐるべき駅も限られてきた。
今回降り立ったのは、相模鉄道いずみ野線「南万騎が原駅」。
訪れたことのない土地だったため不安はあったが、この力強い地名の響きに魅力を感じ、取材を思い立った。
駅前のスペースを見つけ、三脚を立てて撮影。雑草が写りこんでしまった
南万騎が原駅の東側には、「万騎が原」という街が広がる。
「万の馬」を意味する地名にちなんでか、駅名を記す看板の裏には馬のモチーフが施されていた。
看板の裏の馬のモチーフ
実 は、ここ万騎が原一帯、かつては「牧ヶ原」と呼ばれていたという。それが、1205(元久2)年、源頼朝の重臣であった畠山重忠が、この地に数万騎の陣を 構えていた北条氏によって討ち取られたという史実にちなみ、「万騎が原」という漢字で表記されるようになった(「旭区郷土史」旭区郷土史刊行委員会編)。
万騎が原の地名の由来については、過去の記事も参照してほしい。
駅前の地図看板。古戦場だったことをしのばせる歴史的スポットが散見される
さて、この街の歴史的基礎知識をチェックしたところで、早速散策してみよう。
62年の技術を誇る靴修理店
駅前商業施設の中に、ひときわ目立つカラフルな手描きの看板を発見。
「55年の技術を誇る 靴の病院」と書かれている。
看板には「靴の病院」「本日の担当医スズキ院長」との記載が・・・
「この商業施設が建てられたのは昭和50年代。施設が完成してからすぐ入店したから、もう30年以上この場所で靴の修理をしていることになるね」。そう話してくれたのは、「靴のスタンダード」(旭区柏町)の店長・鈴木さんだ。
昭和50年代に建てられた柏町の商業施設。数軒の商店が入店している
鈴木さんは、同店を靴の「病院」に見立て、自らを「病院長」と称している。その道、62年の靴修理職人だ。
15歳から職人として修行をはじめた鈴木さん。現在77歳
「靴も使い捨ての時代になってしまいましたね。修理するくらいなら新しいのを買ったほうがいいという風潮になってきている。それでもこうやってお客さんが訪れてくれるから」
気に入った靴を履き続けられるようにと、毎日靴を修理し続ける鈴木さん。
彼を頼って集まった靴の山を見ていると、自宅の靴箱で眠っている靴に対しても購入当時の愛着をもう一度蘇らせたいという気持ちになってくる。
「靴の病院」の病院長を頼って持ち込まれた靴が行列をなす
靴の修理をメインで運営している同店だが、靴の販売も行っている。
店内には、昔懐かしい絵柄の子ども用長靴も
わけあり価格100円。おしゃれなデッキシューズ風(未使用)
「いつまでお店を続けられるかなぁ、なんて、毎日思うんだけどね」と、話す鈴木さん。それでも、「お客さんが来てくれる限り。この身体が動くうちは」と、年中無休で営業しているというから、襟を正される。
再訪することを約束して同店を後にした。
東に向かって道なりに進むと、「南万騎が原ルート」なる案内板を見つける。「こども自然公園」へのルートを示すものだ。
旭区役所が設置している案内板。こども自然公園までのルートを示している
過去の「はま旅」二俣川編ですでに紹介されている同公園であるが、そこでは取り上げられなかった何かがあるかもしれない。
とりあえず、案内板にしたがって進んでみることにした。