関東大震災で焼失した山下町の「グランド・ホテル」の栄華を教えて!
ココがキニナル!
名門・ホテルニューグランドは「ニュー」とつくので「旧」があるはず。確かに横浜グランドホテルがあったようですが、栄華について知りたい(katsuya30jpさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
関東大震災で焼失するまで、日本屈指の豪華さを誇ったグランド・ホテル。開港期の多くの重要人物がかかわり、日本初のカクテル「バンブー」生誕の場所
ライター:ほしば あずみ
日本を代表するクラシックホテル「ホテルニューグランド」は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災からの復興計画として建設され、1927(昭和2)年に開業した。
その名称は震災で失われたグランド・ホテルのようなランドマークとなってほしいという願いが込められ、公募で名づけられたといわれる。つまり、現在のホテルニューグランドと元あったグランド・ホテルにつながりはない。
新たなホテルにその名を冠するほど、当時の人々の心に強く残っていたグランド・ホテルとはいったいどのようなホテルだったのだろう。
元祖グランド・ホテルとは?
グランド・ホテルは居留地20番(現在の「横浜人形の家」付近)に1873(明治6)年8月16日に開業した。
新橋-横浜間に日本最初の鉄道が開通した1年後の事だ。
この地で1870(明治3)年頃まで営業していた、同名のグランド・ホテルを前身とし、横浜ユナイテッド・クラブ(イギリス系の外国人クラブ。居留地の社交場だった)のマネージャー、W.H.スミスや、写真家のフェリーチェ・ベアトら数人が資本を出して、建物も新築し開業にこぎつけた。
鎖国中の幕末から明治にかけての日本を数多く撮影したベアト
マネージングディレクターはW.H.スミス、支配人はJ.リオンズ、料理長はルイ・ベギューであった。フランス人ボナの経営と紹介される事もあるが、ボナが経営者となるのは明治11年以降。(ボナ説は1946(昭和21)年に刊行された『日本ホテル略史/運輸省編纂』に記載された内容を典拠とするものだが、『日本ホテル略史』は記述に誤りが多い。
日本におけるフランス料理の父と言われるルイ・ベギューは、幕末の江戸に開業した国内初の本格的西洋式ホテル「築地ホテル館」(現在の東京都中央区築地市場駐車場付近)の初代料理長。これが日本初のフランス料理店といわれているが、築地ホテル館は開業4年目の1872(明治5)年、火事で焼失する。
ベギューが翌年開業したグランド・ホテルの料理長となったのは、既にその腕前が知られていたからだろう。ホテルの料理は開業当初から絶賛されていたようだ。
また、厨房は後に帝国ホテル初代料理長となる吉川兼吉(かねきち)など、西洋料理の礎を築く名料理人たちが修行を積む場ともなった。
谷戸橋とグランド・ホテル。明治末期~大正時代にかけての絵葉書より(横浜市中央図書館所蔵)
建物は横浜西洋館の祖とも呼ばれるブリジェンスの設計だったといわれている。前述の築地ホテル館や、初代横浜駅(現・桜木町駅)の駅舎、横浜税関など、当時の大きな建築物を次々手がけた建築家だ。
ホテルの宿泊代は開業当初、月極め2食付きで58ドルだった。現在の価格に換算すると約116万円に相当する。箱根の「富士屋ホテル」が外国人向けの施設を設け、月極め食事付き35ドル(約70万円に相当)だったというから、かなり高額だったといえる。
月極め料金が設定されているのは、長期滞在者が多かったためだ。当時は日本政府が雇用した「お雇い外国人」らが家を提供されるまで滞在することもあったらしい。