【再掲載】横浜の歴史遺産を発見! 43年前に廃止となった市電の停留所の標識を追う!
ココがキニナル!
南区睦町一丁目の国道16号線沿いにあるハンコ屋好田印房さんの店の外側に、かつて走っていた市電の停留所の標識と思われる物がひっそりと存在。この文化財は今後どうなる?(横濱マリーさん/ゆがみ小僧さん)
はまれぽ調査結果!
市電が廃止された際に廃棄されかけた市電の「行き先案内板」を好田印房さんが記念に譲り受けた。撤去の予定はないとのことであった。
ライター:篠田 康弘
横浜市電が市内を走っていたのは、もう40年以上前の話だ。
横浜市電
横浜市電(以下市電)は、横浜の歴史の重要な一部と言えるだろう。はまれぽでも何度か記事を掲載してきた。
だが、これまでの記事に掲載されていなかった事実が今回明らかになった。投稿されたキニナルによれば、なんと市電の停留所の標識が市内に現存しているらしいのだ。
投稿された標識
どこに、どんな形で残されているのだろう。これはキニナルぞ。
実在した市電の標識
投稿された標識がどこにあるのか調査したところ、南区と磯子区を流れる掘割(ほりわり)川にかかっている中村橋の近くにあることが分かった。
国道16号線沿いに流れる掘割川
停留所の名前の由来となった中村橋
この付近にはかつて市電の中村橋停留所があったので、おそらくここで使われていた標識だろうと思われる。
市電の路線図。左側に中村橋と書かれた停留所がある(クリックして拡大)
実際に現地に行って調べたところ、投稿にあった標識を見つけることができた。
投稿された写真と同じ標識を発見
現物を見てみると、一番目立つところに大きく「好田(よしだ)印房前」と書かれていた。
「好田印房前」の表記がひときわ目を引く
そうか、当時の中村橋停留所は好田印房という店の前にあったのか。ならばこの店が今でも残っているか調べて、当時の話を伺ってみよう。そう思って顔を上げると、目の前に「好田印房」の看板が飛び込んできた。
標識のすぐ横に好田印房があった
このはんこ屋さんが、標識に書かれた好田印房なのだろうか? 行って確認してみよう。
創業82年の老舗、好田印房
好田印房に取材を申し込んだところ、ご主人の好田豊(よしだ・ゆたか)さんからお話を伺うことができた。
ご主人の好田豊さん。はんこ屋さんらしい見事な書体をバックに
好田さんは1940(昭和15)年生まれとのことであったが、75歳とは思えないくらい元気に話してくれた。
好田印房は1933(昭和8)年の創業。創業時は京急線神奈川駅のそばで営業していたが、太平洋戦争中に戦災に遭い、戦後すぐに現在の中村橋に移転したとのことであった。
創業当時は神奈川駅のそばで営業していた
早速標識について聞いてみると「あれはうちのものだよ。1972(昭和47)年3月に市電が廃止された時に、廃棄される予定だったやつをもらってきたんだ」とお答えいただいた。
そして好田さんは「ここが最後まで残っていた路線だったからなあ」と続けた。
横浜市内は戦争で大きな被害を受けたが、市電の運行は戦後すぐに再開された。好田さんが今の住所に越してきた時には、すでに市電は走っていたそうだ。
好田印房から道路を望む。道路の中央付近に中村橋停留所があったそうだ
このような感じの停留所があったのだろう(写真は横浜市電保存館の展示車両)
市内の重要な交通機関として活躍し、最盛期には多くの路線を有していた市電だったが、モータリゼーションの進行に伴い車が増え、その路線は徐々に廃止されていった。
1928(昭和3)年当時の路線図
最盛期の1960(昭和35)年当時の路線図。路線が拡大しているのが分かる
そのような中、最後まで運行を続けていたのが、好田印房の前を通っていた桜木町-滝頭間の路線だったそうだ。この路線が1972(昭和47)年3月に廃止され、市電はその役目を終えた。
専用の軌道を走るのだから、渋滞も無く便利なのではないかと素人の筆者は思ってしまうのだが、実際に市電が走っている様子を見ていた好田さんによれば「車が軌道にはみ出し、電車も渋滞に巻き込まれることも多かったよ」とのことであった。
反対方向から見た停留所付近
当時は中央分離帯の付近に軌道が通っており、車用の車線は非常に狭かったそうだ。本来、自動車は軌道の上を走ってはいけなのだが、渋滞で車線からあふれた車が軌道の上を走るケースも増え、結局市電も渋滞に巻き込まれてしまっていたそうだ。
逆に考えれば、軌道がなければ車線が増え、渋滞もないということになる。市電が渋滞を生み出していたとも言えるのだ。道路がスムーズに流れるようにするためには、市電をバスに切り替えるしかなかったのだろう。
好田さんの話を聞いて、時の流れを感じずにはいられなかった。あの標識は、横浜の交通機関の変化を示す貴重な歴史遺産なのだ。好田さんは「撤去するつもりはないよ」と話していたので、いつまでも残しておいてほしい。
このような歴史遺産はほかにはないのだろうか? 好田さんに聞いてみたところ「標識は分かんないけど、看板があるところなら知ってるよ」とのことであった。