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横浜の古道を歩く 金沢道その2 ―港南・磯子区編―

横浜の古道を歩く 金沢道その2 ―港南・磯子区編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

一筋の道を丁寧に歩き「旅する感覚」を再現する古道シリーズ第2弾、金沢道も半ばに。今回は大岡川上流の川沿いの道を進む。落ち着いた雰囲気の住宅地の中をうねうねと続く道は、旧街道の趣きに満ちていた。

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ライター:結城靖博


東海道保土ケ谷宿の金沢横丁から金沢八景に至る、金沢道(かねさわみち)の全行程は以下の通り。


© OpenStreetMap contributors)


瀬戸神社を旅の終点とした理由は、すでに前回の冒頭で述べた。
その第2回は、京急上大岡駅付近から能見台(のうけんだい)の大規模な新興住宅地エリアの手前までの、港南区~磯子区にまたがる道をたどる。



まずは上大岡駅裏筋の商店街の中へ





スタート地点は前回の終点、旧道と鎌倉街道(国道16号線)が合流する最戸橋(さいどばし)付近だ。


合流地点の先に京浜急行の高架橋が見える



高架橋をくぐると、そこは上大岡駅前


金沢道は上の写真右手の、狭い商店街の道へ続く。


とはいえ、せっかくなので駅前も一応チェック



そしてあらためて、裏通りの商店街へ足を踏み入れる



商店街の名称は「さかえ通り商店街」


そこは一筋隣りの鎌倉街道とは打って変わって、静かだ。


しばらく進むと左手に、駅前へ通じる中央商店街「パサージュ上大岡」が覗く


この周辺はさすがに人出も多いが、


そこを過ぎるとまた静けさが戻る


上の写真の交差点右手を向くと、


橋が見えて



橋のたもとに神社があった


橋の名は青木橋。神社の名は青木神社。この神社には、面白い言い伝えがある。


神社は現在、大岡川東岸に位置しているのだが


もともと少し上流の西岸に建っていたという。それがある時、大洪水で地滑りが起き大岡川の川筋が変わり、現在の位置に鎮座するようになったとか。
創建は不詳だが、地滑りが起きたのは1786(天明6)年のこと。この地域一帯の村社として古くから祀られていたようだ。

旧道に戻ると、その先は「グリーン通り」と名前を変える。


商店街というよりマンション群に囲まれた道だ



やがて道が二又に分かれる。金沢道はここを左に曲がる



そこは鎌倉街道沿いの関ノ下(せきのした)交差点


金沢道は交差点を越えて、さらに写真奥の道へ続く。この道は笹下釜利谷(ささげかまりや)道路の起点でもある。

最戸橋付近から関ノ下交差点までは1km弱。徒歩十数分の距離だ。


© OpenStreetMap contributors)




笹下釜利谷道路をひたすら歩く




古道歩きを始めてから、歩道橋を発見すると上りたくなる変な癖がついてきた。


というわけで関ノ下交差点の歩道橋上からこの先進むべき方向を望む


道はわずかに右にカーブしている。その後も道は左右にゆるやかに曲がりながら続くのだが、それはこの道がおおむね川筋に沿って進んでいるからだろう。

その川の名は「笹下川」。またの名は「大岡川」。どちらが正式かといえば後者だ。
関ノ下付近で西側の日野川と合流することになるこの川は、地図上では笹下川と表記されることが多いが、正式名称は大岡川。川にかかる橋のたもとには常に「大岡川」という標識が掲げられている。

だが川の様相は中流域以下の大岡川とは明らかに異なるので、本稿では愛着も込めて笹下川と呼ぶことにしたい。


とにもかくにも歩道橋を降りて先へ進もう



するとほどなく右手の脇道の先に橋が見えた



橋の下を流れるのは大岡川という名の笹下川


どうだろう、この小川っぽい風情は。大岡川といえば横浜市内を流れる代表的な河川の一つだが、やっぱりここは「笹下川」と呼びたくなる。

だがすでに見た青木神社の地滑りのように、大岡川は本来そんなにちゃらちゃら流れる優しい川ではなかった。
そのことを今に伝える碑が、この橋のたもとに建てられていた。


碑の名称は「岡本橋記念碑」


そばに掲げられた解説板によると、明治期までの鎌倉街道は、雨が降ると大岡川の氾濫で歩けなくなるほどの悪路になった。そこで沿道11ヶ村が協力して改修工事を行い、その功績を伝えるためにこの碑を建てたという(別の場所にあったものを平成以降この地に移築)。


街道に戻って4、5分歩くと、右手に横浜刑務所の門が現れる


資料によれば、確かこの付近に古い庚申塔があるはずだ。辺りをキョロキョロ見回すと、刑務所の少し手前左側にやっと発見できた。


超がつくほどわかりづらい


なにしろその場所は、見ての通り階段上の民家の脇だ。


近づいてみると、お地蔵様が大切に祀られていた



祠の奥に手書きの説明書が貼られている



階段を下りてさらに進むと、右手の笹下川が近づいたり離れたりしながら



やがて左側に東樹院(とうじゅいん)への入り口を示す石柱が姿を見せる


ここでまたちょっと寄り道。


脇道に入って100メートル足らずで門前に到着



境内に入ってまず見ておきたかったのは庚申塔(左)と馬頭観音塔(右)だ


いずれもとても古そうだが、庚申塔の足元の真新しいタヌキの置物もキニナル。


だがもっとキニナルたぬきが、本堂右脇に立っている


なぜかそこには乙女の像とタヌキ。これはこの寺院に残る伝説と関係する。

――昔々、一夜の宿を借りた女性がお礼に茶釜を置いていく。その後、和尚が犬にかみ殺されていた一匹のタヌキを発見するが、そのタヌキは宿を借りた女性と同じ着物を着ていた。そこで和尚はタヌキをねんごろに葬り、女性の茶釜を寺の宝にしたとか・・・。

街道に戻って1分ほど歩くと、左手にうっかりすると見過ごしそうな史跡があった。


そこは旧湘南信用金庫の敷地脇



奥まった場所に「鰻(うなぎ)井戸」と書かれた掲示板が


この井戸にもまた伝説がある。
文永年間(1264~75年)に病に倒れた北条実時(さねとき)が如意輪観音のお告げに従い、頭に斑紋のある2匹の鰻が棲むこの井戸の腐水を飲んだところ、たちどころに病が癒えたとか・・・。

さすが鎌倉時代からの歴史をつなぐ金沢道だ。なんとなく中世っぽいシュールな伝説が多いなぁ、などと思いつつ街道を進むと、数分で近代的な光景に出くわす。


ここは打越交差点。上を横切るのは環状2号線の高架橋だ



金沢道はその下をくぐってさらに前方へ続くのだが


打越交差点を越えてすぐ先に、資料によればやはり古い庚申塔があるはず。またもや周辺をキョロキョロすると、これまたなかなかわかりづらい場所にそれはあった。


そこは交差点から50メートルほど進んだ左手の階段を上ったところ



個人邸の墓地の入り口にひっそりと佇んでいた



造立は安永年間(1772~81年)とか。わずかに残る青面金剛の姿に歴史を感じる


さらに街道を進むと、数分で左手に学校の校舎が見えてくる。


ここは日下(ひした)小学校。小学校の向こうに歩道橋が見える



そこでまた本能的に歩道橋を上ると、その先に左へ入る道がある


矢印の下は新川橋交差点。ここから金沢道はようやく笹下釜利谷道路を離れることになる。関ノ下交差点から新川橋交差点までは約1.9km。徒歩25分弱の距離だ。


© OpenStreetMap contributors)




脇の小道をのんびり歩く





新川橋交差点から始まる脇道


実はここから始まる脇道には特段の史跡があるわけでもない。だが、かつての街道の風情を彷彿とさせるなんとも魅力的な小道だ。


左手には落ち着いた佇まいの家並み



そして右手には笹下川のせせらぎ


笹下川はこの先、本稿の終わり近くまで、付いたり離れたりしながら、街道の右手にずっと流れ続ける。


道に面した民家の軒先でこんな素敵な水槽にも遭遇


道行く人の目を楽しませるためとしか思えないこしらえだ。


やがて左右に新しい住宅が建ち並び


そのエリアを過ぎると、


左手に寺院が見えたので寄ってみる



境内へ続く石段の途中には、古びた庚申塔があった


石柱に「享保十八」と刻まれている。1733年造立のようだ。


ここは日蓮宗の妙蓮寺(みょうれんじ)。鐘楼に趣きを感じる


街道に戻るとその先の道は


やはり時に右手に川の流れを見たり



かと思えば民家にはさまれさらに道幅が狭まったりして



数分ほどで、ちょっとした上り坂の先に教会が見えてきた



交差点の向かい角に建つのは洋光台協会。そして手前の角には案内板が



それは金沢道についての解説板だった



金沢横丁の4基の道標と、各道標が指す名所の図版も描かれている


歩いてきた道が正しかったことを、ここで確認できた。


金沢道は、教会を左に見たこの小道をさらに前方へ続く



行く手はまたまた左右の民家にはさまれて狭まったり



かと思えば、また時折笹下川が姿を見せたり



いずにせよ左側の丘陵地と右側の川に沿いながら蛇行を繰り返し



やがて、のどかな脇道の終着点にたどり着く



その手前左手に、馬頭観音塔が建っていた


塔が建つ斜面の上方は、個人の敷地の墓地らしい。素敵な形の石塔だが、建立はそれほど古くはないようだ。


馬頭観音塔の数十メートル先で大通りと接する


目の前の道は笹下釜利谷道路。一旦離れた道にまた合流したわけだ。脇道ののんびり旅は、ひとまずここで終わりを告げる。


合流地点前の角に、教会の向かいにあったのと同じ金沢道の解説板があった


新川橋交差点から馬頭観音塔の先の笹下釜利谷道路合流点までは約1.3km。徒歩15分ほどの距離だ。


© OpenStreetMap contributors)




行きつ戻りつの迷い道を楽しむ




この先は笹下釜利谷道路を左に進むのだが、


わずか50~60メートルで、また斜め左の脇道へ入る



そのなだらかな上り坂の道をまた50~60メートル歩くと



筆者の足は右手の道へ逸れる



なぜなら左の道は「杉田新道」。京急・杉田駅へ通じる道だからだ



いっぽう右折した道は坂を下ってJR根岸線の高架下へ続く


だが上の写真を見てわかる通り、坂を下る手前に左へ入る道がある。実は一度そちらにも行ってみたのだが、


線路に遮られて、行き止まりになっていた



なのできびすを返し、先ほどの坂を下る


目の前の高架橋と交差する道は、またしても笹下釜利谷道路だ。つまり、さきほど斜め左の脇道に逸れずにまっすぐ歩いていたら、結局ここに行き着いていたことになる。

「だったら初めからまっすぐ行けばよかったのに」と思う方もいるかもしれない。
なぜ、あえて一度脇道に逸れたかというと、実はこの周辺の金沢道はかなり経路があいまいだからだ。おそらく近代の鉄道敷設と関係しているのだろう。

複数の古道地図を検証した結果、わずかでも旧街道と重なるこのコースを選ぶことにした。


とにもかくにもその先は高架橋の下をくぐり



笹下釜利谷道路を歩いていく



すると、ものの1分ほどで大きな交差点と交わる


ここは笹下釜利谷道路と環状3号線が交差する栗木交差点だ。


交差点の左方向はかつての名所・梅林の杉田、その先は芋神様の富岡へと続いている



だが、金沢道は交差点を越えて直進する



交差点を渡った左角にバッティングセンターがある



そしてバッティングセンターのすぐ先に、向坂(むかいざか)バス停がある



資料を頼りに、初めはこのバス停の先の脇道に入った


だが、民家にはさまれた道をいくら進んでも、資料をもとに当たりをつけておいた「目当ての史跡」が見つからない。
道端でうろうろしていると、ある家の前で年配の女性が親切に教えてくれた。「そこなら、ライオンズマンションの手前の道を入るのよ」と。

というわけで、またちょっと引き返して、


あらためてバッティングセンターとマンションの間の脇道へ入り直す


行きつ戻りつを繰り返した行程は距離にしてわずか400メートルほど。迷わなければ、せいぜい徒歩5分だ。だが古道歩きは、この「迷い道ふらふら」も案外面白かったりする。


© OpenStreetMap contributors)




ふたたびコアな脇の小道へ分け入る


地元の年配女性に教えてもらった脇道を入ると、なだらかな上り坂が続く。


左は崖、右は一段下がったところに民家が並ぶ小高い丘の中腹の道



そこをしばし歩いていくと突然舗装された道が途絶える



だが未舗装の道がまだ続いているので、分け入っていく



するとまもなく、ちょっと坂を上った先に祠を発見


祠の前に、誰かいる。


地元の方がお参りをしている最中だった



お参りが済むまでじっと待ってから、4基の石塔と向き合う


これぞぜひとも見ておきたかった「お目当ての史跡」だ。
左の2基は庚申塔。一番右の石柱には「青面金剛」の文字が刻まれている。いずれも古色を帯びているが、一番古いものは1713(正徳3)年の造立だという。


そして右から2番目の石塔が道標


そこには「右杉田ミち」「左新まち道」と、くっきり刻まれている。


そう。ここが杉田道と金沢道の分岐点であったことを示している


上の写真の右手が杉田道、左が今上ってきた道、つまり金沢道だ。「新まち」とは保土ケ谷のこと。前回の記事冒頭に記した通り、金沢方面から見れば、「金沢道」は「保土ケ谷道」でもある。

それにしても、この光景はどうだろう。まさに近世そのものという感じではないか。しばしその場の空気にしみじみと浸ったのち、筆者の足は金沢方面へと向かう。


道は下りとなり、まだしばらく未舗装の林道が続く



右手の竹林が途切れると、眼下には最初に選んだ向坂バス停先の脇道や住宅地が見える



やがて道路も舗装され、道は平坦になる



その後は右側を流れる笹下川にほぼ沿うようにして、うねうねと道が続く



時には道沿いにかなりの時代物の古民家を目にしたり



時には笹下川のせせらぎを耳にしたりしながら


とは言うものの、川の形状に沿って曲がりくねる道は、方向に迷うこともしばしばだ。


たとえばこの迷い所では、右斜め前方へと歩を進めた



いずれにせよ「水先案内人」は時折右側に姿を見せる笹下川の流れだ



やがて左側の崖下に思わず足を止めたくなるものを発見



これは湧き水ではないか


周囲に置かれた備品から、生活用水としてご近所の方々に利用されていることがうかがえる。「江戸時代にも湧いていたのだろうか?」などと思いを馳せる。

ちょうどこの湧き水が出る辺りで、金沢道は笹下川から徐々に離れていく。


そしてしばし住宅地の中を進むと



目の前に久しぶりに少し大きめの交差点が現れる



交差点のすぐ右手にはバス停が


「京急富岡住宅西口」のバス停だ。そしてずらりと並ぶ車列の先は、笹下釜利谷道路。


金沢道はこの交差点を突っ切って、さらに前進する


だが、この先の金沢道はしばらく、判然としない。

なぜなら、道の向こうには能見台の住宅地が広がっているのだが、広大な敷地の宅地開発によって、このエリアにあったかつての金沢道は消滅してしまったからだ。
そのためこの先しばらくの道中は、かなりザックリとしたものにならざるをえない。

また、この交差点を150メートルほど進むと、ちょうど磯子区と金沢区との区境に至る。

というわけで、ここを一つの区切りとして本稿は打ち止めとしよう。なにしろ金沢道はまだまだ続くのだから。

バッティングセンターの脇道入り口から京急富岡住宅西口バス停近くの交差点までの行程は約1.2km。およそ15分弱の距離だ。


© OpenStreetMap contributors)


なお、この旧道は前述した通り、行き先に迷う地点とたびたび遭遇した。

特に上の図の青い円で囲った辺りは、大いに悩んだところだ。地図上の形状と実際の現場の感覚が異なるからだ。
結局、古道らしい雰囲気を優先して笹下釜利谷道路から遠ざかるコースを選んだが、もしかしたら違うのかもしれない。

とにもかくにも、本稿の全行程は以下の通りだ。


© OpenStreetMap contributors)


ざっと6km弱。脇目もふらずに頑張って歩けば1時間半もかからないかも。だが、「行きつ戻りつ」にはまってしまうと、事はそう簡単ではない。

皆さんもぜひ実際に足を運び、迷い道を大いに楽しんでみてはいかがだろうか。たとえ迷ったとしても、特に脇の小道は、のどかな古道歩きを堪能させてくれるはずだ。



取材を終えて




金沢道は、宿場を巡る東海道のように、至る所に史跡があるという古道ではない。しかし、だからこそ、あのバッティングセンターから入った脇道の先でみつけた4基の石塔のごとく、突如江戸時代にタイプスリップしたような光景に遭遇すると、その感動はひとしおだ。
脇街道ならではの古道歩きの醍醐味といえるだろう。

次回は、近世の金沢遊覧の象徴的な場所、「まぼろしの能見堂」界隈に足を踏み入れる。そこでもまた、時空を超えたような古道をさまようことになる。
どうかお楽しみに。


―終わり―


参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)
『旧鎌倉街道下道を歩く』勝田五郎著、古道研究会発行(2002年3月刊)
『横浜歴史散歩』横浜郷土研究会編集・発行(1976年7月刊)
『金沢の古道』横浜市金沢区役所発行(1984年3月刊)

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  • 地蔵庚申のあたりの笹下川は大雨のたびに溢れて道が使い物にならなかったので、あの辺りは川を付け替えて直線にしたとか。街道としてはあまり良くないですね。なぜ能見台まで尾根道の街道にしなかったのか不思議です。

  • 素晴らしく発展して整理されてますね!よく調べられましたよー

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