なぜ、「のぞみ」は新横浜駅に停まるのか?

ココがキニナル!
なぜ「のぞみ」は新横浜駅に停まるのか?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
昔は「ひかり」も通過していたが、新横浜が発展して、ついに2008年3月のダイヤ改正で全列車の停車駅になった!
ライター:新はまれぽ編集部
東海道新幹線で東京駅から西へ向かう際、列車は品川駅、そして新横浜駅へと停車していく。
現在、最速達種別である「のぞみ」を含め、例外なくすべての列車がこの駅に停車する。(あのドクターイエローも新横浜駅には停車する)
多くの利用者にとって、それはあまりにも自然な光景であり、疑問を抱く余地さえないかもしれない。
しかし、時計の針を60年ほど戻してみれば、そこには全く異なる風景が広がっていた。
かつて新横浜は、新幹線のエリート列車である「ひかり」や「のぞみ」が、見向きもせずに全速力で通過する駅だったのだ。
なぜ、何もない農村地帯に作られた駅が、日本屈指の乗降客数を誇る巨大ターミナルへと変貌を遂げたのか。
その劇的な成長の軌跡には、鉄道技術者たちの苦闘と、都市の成長が生んだ必然のドラマが隠されている。
1. 宿命づけられた「田園地帯」への建設
東海道新幹線が開業したのは、1964年(昭和39年)。
当時の国鉄(日本国有鉄道)が直面していた最大の課題は、いかにして東京と大阪を高速で結ぶか、という点にあった。
当時すでに過密状態にあった横浜駅周辺の市街地に、高速走行に必要な「直線の線路」を敷設することは、物理的にもコスト的にも不可能であった。
そこで技術者たちが選んだのは、横浜の市街地を大きく迂回し、内陸部を貫くルートだった。
白羽の矢が立ったのは、横浜線と交差する地点。
当時の港北区篠原町周辺である。
開業当時の航空写真を見ると、その光景に衝撃を受ける。
駅の周囲にあるのはビルでもホテルでもなく、一面の田んぼと畑、そして雑木林だけであった。

上:新横浜駅建設前(1961〈昭和36〉年)の周辺の様子
(資料提供:横浜市史資料室/本田芳治さん撮影)
現在の北海道新幹線・新函館北斗駅が開業当初、原野の中に佇んでいた姿を彷彿とさせる。
「横浜」の名を冠しながらも、繁華街からは遠く離れた場所。
それが新横浜の出発点だった。
当然ながら、開業当初の扱いは決して高いものではなかった。
停車するのは各駅停車の「こだま」のみ。
東京と大阪を急ぐ「ひかり」は、砂煙を上げてこの小さな駅を通過していったのである。
2. 都市の膨張と「ひかり」停車の決断
しかし、駅の設置は、その土地の運命を決定的に変えた。
「東京まで20分足らず、大阪へも直結」という圧倒的なポテンシャルは、高度経済成長期の都市膨張と共鳴した。
最初はまばらだった駅周辺の開発は、やがて奔流となる。
新幹線の利便性に目をつけた企業が、次々と本社や事業所を移転させ始めたのだ。
同時に、東京のベッドタウンとして宅地開発が進み、新横浜周辺に住んで新幹線で通勤する「新幹線ツーリズム」ならぬ「新幹線コミューター」が登場し始めた。
1985年には横浜市営地下鉄ブルーラインも延伸し、横浜市中心部との接続も確立された。

駅を利用するビジネスマンや住民の急増を受け、国鉄も動かざるを得なくなる。
ついに一部の「ひかり」が新横浜駅に停車することとなった。
それは、この駅が単なる「ローカルな乗降場」から、都市間輸送の「拠点」へと格上げされた瞬間であった。
3. 「のぞみ」全停車というパラダイムシフト
国鉄が分割民営化され、JR東海による運営が始まると、さらなる変革が訪れる。
1992年、航空機に対抗する切り札として「のぞみ」がデビューした。
当初、「のぞみ」は速達性を極限まで追求するため、新横浜を通過する列車も設定されていた。
しかし、神奈川県全域および東京都多摩地域を包摂する巨大な商圏人口は、もはや無視できない規模に膨れ上がっていた。
「横浜に停めないわけにはいかない」
その経営的判断は、年を追うごとに強固なものとなっていく。
そして2008年3月のダイヤ改正。
JR東海は歴史的な決断を下す。
すべての「のぞみ」を含む、全列車の新横浜駅停車である。

これにより、列車の運行間隔を均一化し、過密ダイヤの中で最大限の本数を確保するという運行上のメリットも生まれた。
かつて「こだま」しか停まらなかった駅は、毎時十数本の「のぞみ」が発着する、名実ともに首都圏第二の玄関口へと完成を見たのである。
4. 鉄道ネットワークの要衝へ:相鉄・東急直通線の衝撃
新横浜駅の進化は、全列車停車だけでは終わらなかった。
2023年3月、この駅の価値をさらに決定づける出来事が起きた。
「相鉄・東急新横浜線」の開業である。
相模鉄道と東急電鉄という大手私鉄2社が、新横浜駅を介して相互直通運転を開始したのだ。
これにより、渋谷、目黒、あるいは海老名や湘南台といった広範なエリアから、乗り換えなしで新横浜駅へアクセスすることが可能となった。
両社の狙いは明確である。
自社沿線の住民を、新横浜というハブを通じて新幹線へと送り込むこと。
いわば、新横浜駅を「巨大な磁石」として、首都圏南西部の人の流れを一挙に集める戦略だ。

田んぼの中の無人駅から始まり、新幹線の全列車が停車し、さらには私鉄ネットワークの結節点へ。
新横浜駅の半世紀にわたる成長物語は、交通インフラがいかにして都市の形を変え、人の流れを作り出すかを示す、最も雄弁な実例と言えるだろう。
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