西区の久保山墓地はどうやってできた?
ココがキニナル!
浜の隠れた観光スポット?夜の最強デートスポット?な西区久保山墓地。なぜにこんな一山丸ごと墓地に?また誰か著名な人物のお墓はあるの?(yamaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
明治政府の意向で3つのお寺の墓地を移設して造られたのが始まり。市営墓地と民間墓地が入り混じっており、民間墓地には三溪園で知られる原三溪(富太郎)氏のお墓もある
ライター:田中 大輔
実は市営じゃないお墓も!?
お墓の数が増えるにつれて徐々に墓地の規模も大きくなっていったわけだが、田口さんは「この辺り、入り組んでるんですよ」。
どういうことか聞いてみると、「全部が市営ってわけじゃないんです」という答え。
あれ? 市営墓地じゃないの? と驚いていると、田口さんはお手製の地図を見せて説明してくれた。
丁寧に色分けされた手作りマップ
実は、あの一帯の土地には3つの種類がある。
ひとつは市が管理している部分。上の写真の黄色いところがそれに当たる。
オレンジに塗られた場所は、お寺などが持っている土地。つまり、市営ではない普通のお墓。
そして、ピンクが“寺院貸し付け墓地”と呼ばれる部分だ。
明治から戦前までは、墓地の経営許可は地方公共団体にしか認められていなかった。つまり、役所以外はお墓を造ることができなかったというわけ。
そこで、お寺は自分が持っている土地を自治体に寄付して、その上で自治体が経営許可を取る。書類上、土地の名義は自治体になるが、実際にその墓地を管理するのはお寺。
こういったやり方で造られたのが“寺院貸し付け墓地”なんだそうだ。
ここは墓地ができた当初からあった区画
というわけで、市の直轄墓地ではない部分も多くあり、冒頭にある墓地の写真も実は市営ではない場所に当たる。
なので、厳密に言えば、黄色く塗られた市営の部分こそが「久保山墓地」というわけだ。
先ほど紹介した面積やお墓の数も、市営の部分だけの数字。
すべてを合わせるともっともっと広くなるし、お墓も2万基くらいはあるんじゃないかということだった。
著名人も眠ってる?
さて、もうひとつのキニナル、著名人のお墓はあるのか、という点。
残念ながら、「東京都なんかでは看板を立てて案内図に入れたりしてますが、横浜はスタンスが違ってまして」ということで、個人情報の観点からおおっぴらにするわけにはいかないんだそうだ。
ただ、すでに知られているので、ということで教えてもらったのは、本牧の三溪園で知られる実業家で茶人でもある原三溪(富太郎)氏のお墓。
これは、民間管理の場所に建てられているそうだ。
また、有名人というわけではないが、戊辰戦争で命を落とした人のお墓“官修墓地”もある。
これは市営墓地の一角にあり、石碑に説明書きもされている。
官修墓地は、西区観光協会と山口県が管理している
それによると、当時の日本では銃創治療の技術が未熟だったため、撃たれた官軍兵士は野毛にあった横浜軍陣病院に運ばれてイギリス人のウィリアム・ウィリス医師の治療を受けた。しかし、治療の甲斐なく亡くなった人がここに埋葬されているそうだ。
取材を終えて
現在、久保山墓地では通路などが老朽化しているので補修中とのこと。
こんなになってる通路も。確かに補修が必要そうだ
でも、重機も入れないし、機能をいったん止めますというわけにもいかず、大変なんだとか。
規模が大きいだけでなく、その歴史にも発見のあった久保山墓地。
場所柄、面白いというのもどうかとは思うが、いろいろと興味深いことを知ることのできた墓地だった。
―終わり―
hamamamaさん
2016年08月24日 06時55分
土地の管理に関しては興味深かったです。我が家は日野公園墓地なんですが、近年拡張がものすごいことになり驚いています。この記事みたいに日野公園墓地に関しても調査お願いしたいですね。お茶屋さんのことなども。
bssさん
2015年03月02日 14時16分
父方のお墓が久保山ですが、聞いた話によると久保山墓地内で一度引っ越し?をしたことがあるとのこと。小さいころお墓参りで訪れたとき義手の傷痍軍人さんが軍歌を流しながら頭を垂れて座っていたのを見かけてひどく動揺した覚えがあります、いつも泣いている軍人さんの像も深く記憶に残ってます。私の中ではタイムトリップしたような気持になりつつ遠目にランドマークが見えるというシュールな場所です。ちなみに私もここに入る予定です(笑)
minatosekizaiさん
2013年10月29日 06時51分
(株)港石材は横浜市営霊園の工事をどこよりも安く請け負っております。是非お問い合わせください。0120-370-156、久保山霊園のような傾斜の多い墓地は基礎が一番大事です、2m深さの杭を打ってから鉄筋コンクリートで固まれば、地震起きても崩れません。ご検討ください。JR関内駅より1分