うなぎの老舗「横濱八十八」が復活したって本当?
ココがキニナル!
うなぎの老舗「横濱八十八」が復活したそうです。キニナルので取材お願いします。(はまれひで3さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
惜しまれつつ閉店したうなぎの名店「横濱八十八」が、今年春に復活。タレを守った板前さんや関係者の熱意で昔ながらの味が再現された!
ライター:吉澤 由美子
うなぎ供養 放生会
(続き)
そして、いよいよ、うなぎを川に放流する。場所は、黄金町近くにある大岡川の桜桟橋。放生会の放流とはいえ、生き物を川に放すためには、いろいろな条件をクリアしなければ許可が出ないそう。
まず、川に放すのは国産の日本うなぎであること。「ウチで扱っているうなぎは、すべて国産の日本うなぎだから、それは大丈夫」とテイコさん。
もうひとつ、うなぎに負担がかからないよう、水面近くまで安全に降りられる場所で行うというのも条件だった。それで選ばれたのが、大岡川の桜桟橋だ。
お寺で供養してもらったうなぎを持つ、総料理長の橋本さん
時折、雨が激しくなる中、20尾程度のうなぎが次々に川に放たれる。お店の女性スタッフの中には、生きているうなぎを触るのはちょっと怖いと尻込みする場面もあり、厳粛な空気が和やかにゆるむ。
テイコさんが傘をさしかけ、うなぎが放流される
勢いよく泳ぎ去るうなぎ、放された場所でそのままのんびりくつろぐうなぎ。性格もさまざまなうなぎを見送り、放生会は無事終了。
老舗の格式を感じたのはもちろん、日本人が生物に対して持っている昔ながらの慈悲の心を確認できて、とても感慨深い法要だった。
保存されていたタレ
近年になって関内の料亭文化が衰退していった時代背景もあったが、横濱八十八の閉店は、テイコさんのお母様の具合が悪くなったことが大きな原因だった。そして、閉店からほどなくして、お母さまは天寿を全う。
閉店を惜しむ声が多く寄せられ続けたこともあり、お母様を見送られたテイコさんは、「もう一度、横浜らしいおいしいうなぎを安くお客様にお出ししたい」と再建について考えるようになっていった。ところが、うなぎの稚魚の高騰や、東日本大震災があったことで、再建をあきらめようと思ったことも何度かあったそう。
お店を再び出すことを決めると、横濱八十八で60年も板場を守っていた板前さんが「実は、八十八のうなぎのタレを保存しています」と協力を申し出てくれた。
うなぎのタレはうなぎ屋にとって、店が火事になったら真っ先に持ち出すと言われるほどの宝。タレの味がそのうなぎ屋の個性になるだけに、これが保存されていたことは再建へ向けて大きな1歩となった。
料理長の橋本雅博さんによると、うなぎのタレは焼けたうなぎを漬けることでうなぎの脂が加わっていき、その店の味にこなれていくものだそう。脂を酸化させないために火を入れ、味を足しながら育てていくことが必要なので、もし一から作るとしたら、何万匹ものうなぎを焼いてからでなければ本来の味にならないのだとか。
料理長の橋本さん。東京の老舗うなぎ屋で修行し、横浜の老舗料亭「田中屋」勤務の経験も
「2001(平成13)年にお店を閉めた時には、再建しようとは全く思っていなかったから、タレがあったことは本当に偶然だったの」とテイコさん。
板前さんがタレを保存していたことに、先輩から引き継いで自分が守ってきた横濱八十八の味への深い愛情や誇りを感じた。