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金沢文庫は、かつて「かなざわ」ではなく「かねさわ」だったって本当?

ココがキニナル!

最近知ったのですが金沢文庫は「かなざわ」じゃなくて「かねさわ」と読むのが歴史的には正しいそうです。なぜ「かねさわ」が「かなざわ」と呼ばれるようになったのか気になります(sk2さん)

はまれぽ調査結果!

鎌倉時代には「かねさわ」と呼ばれていたが、江戸時代に諸国の情報が入手しやすくなると石川県の金沢が広く知られ、「かなざわ」という読みが広まった

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ライター:河野 哲弥

水戸黄門も間違えた、「かなざわ」の謎



まずは「かねさわ」の証拠から。
同館に伝わる鎌倉時代の古文書『仲朝書状(なかともしょじょう)』には、読みにくいが、「かねさハ(かねさわ)」の文字が確認できる。
 


鎌倉時代の重要文化財・金沢文庫古文書『仲朝書状』


「かねさハの御寺」とは、「称名寺」のこと。この周辺は、鎌倉時代には間違いなく「かねさわ」という地名だった。なお実時の一族は、「かねさわ」を拠点としていたことから、現在でも「金沢(かねさわ)北条氏」と呼ばれている。

では、いつ「かなざわ」と呼ばれるようになったのだろうか。
すると高橋さんが、1枚の資料を見せてくれた。
 


旧字の金澤に、「カナザハ」のふりがなが送ってある


これは、1685(貞享2)年に刊行された『新編鎌倉志(しんぺんかまくらし)』の、活字による復刻版。水戸光圀(みつくに)が、自らの鎌倉旅行を元にして編集させた史料なのだそうだ。

問題は、この時点ですでに「かなざわ」となっていたこと。この点について高橋さんは、「江戸時代、全国の情報が活発にやりとりされはじめたことが関係しているのでは」と話す。

つまり、江戸時代、一般には加賀藩の中心地であった金沢(かなざわ)の方が有名であったから、同じ漢字の地名である武蔵国の金沢にも、その読み方が適用されたのではないかということだ。
 


「日本三名園」の1つ、金沢の兼六園の様子(写真提供:金沢市)


おそらく当時、金沢文庫の地元の人は、まだ「かねさわ」と呼んでいた。しかし、江戸を含めた外部の人間は、金沢を「かなざわ」とインプットしてしまったようである。
さらにこの江戸時代、武蔵国金沢の地は、「金沢八景」の成立によって外部によく知られるようになっていった。その背景には、当時の中国から招いた僧、東皐心越(とうこう しんえつ)が作った、『金沢八景』の詩の大ヒットがある。ちなみに招いたのは、またもや光圀公。
 


トンネル内にあった『金沢八景』の一例、「野島夕照(のじまのせきしょう)」


江戸後期には、浮世絵師・歌川広重も、金沢の点景を「金沢八景」として8枚の図画に描いており、トンネルの内にもこの作品のパネルがある。金沢八景巡りは、鎌倉観光と相まって、一大観光ブームを引き起こした。「金沢八景」が名所として成立した後、外部の多くの人々がこれを「かなざわはっけい」と読んだとすれば、全国に「かなざわ」の読みが擦りこまれていく、1つのきっかけといってもいいだろう。

そう考えると、水戸光圀公が、大きな役割を果たしている気がしてくる。高橋さんに確認してみたところ、直接の因果関係とは言い切れないとのこと。
「書物の流通、鎌倉や金沢八景の名所巡りを楽しむ旅行文化、そういったさまざまな要因が複合しながら、江戸時代を通して外部の人から『かなざわ』の読みが定着していったのではないか。一方で、江戸末期の刷り物の中には、依然、『金沢八景』を『かねさはやつのけい』と記すものなども残っている」と話す。

仮に光圀公が史書の編集や、行脚の旅などを行わなかったとしたら、今の金沢文庫はどうなっていたのだろう。それでも「かなざわ」が定着したのだろうか。残念ながら、この問いを確かめるすべはない。



芸術の秋、「かねさわのふみくら」を訪ねてみては



そんな「金沢文庫」には、まだ判読作業が進んでいない研究中の史料が、数多く残されているそうだ。
10月11日(金)から12月1日(日)まで開催される、特別展「東大寺―鎌倉再建と華厳興隆―」では、こうした史料の一部が、本邦初公開される。
 


金沢文庫のポスターより抜粋


同展は、「称名寺」と僧や書物を通して密接な交流があった奈良東大寺の、鎌倉時代における歴史的意義がテーマ。
いにしえの「かねさわ」時代の文化を、この目で確かめることのできるチャンスかもしれない。この機会に、足を運んでみてはいかがだろうか。もちろん入館には、「称名寺」側の正面から入ることをオススメする。


―終わり―
 

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  • 文中、金沢八景の「野島夕照(のじまのせきしょう)」がありますが、現在平潟湾にかかっている「夕照橋」も「せきしょうばし」と読むのでしょうか? 金沢区に住んでおりますが、ずっと「ゆうしょうばし」だと思っていました。

  • 当たり前に「かなざわぶんこ」だとばかり、思ってました。

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