高島町にあったという歌舞伎座の歴史は?
ココがキニナル!
昔、高島町に松竹大歌舞伎があったと聞いたことがあります。今の築地と二枚看板だったそうですが、当時の盛況ぶりが知りたいです。(katsuya30jpさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1920年に松竹株式会社が花咲町7丁目に歌舞伎などを行う総合劇場・横浜劇場を建てるも、関東大震災の影響などで消失。3年弱の歴史だが盛況だったそう
ライター:橘 アリー
華やかな幕開けと短い幕引き
1920(大正9)年9月11日の新聞(横浜貿易新報)に「横浜劇場」が開場した記事が載っている。
9月11日の横浜貿易新報
記事によると、「横浜劇場」が開場したのは正午で、主役級や中堅どころの歌舞伎役者のそろって舞台上から挨拶にあたる「口上」を披露する「歌舞伎幹部揃」や伝統的な庶民芸能である「狂言」が行われたようだ。
中村歌衛門などの主役級や中堅どころの歌舞伎役者がそろったということは、「横浜劇場」の幕開けはさぞかし華やかなものだったのではないだろうか。
当時、日本は第一次世界大戦による大戦特需で景気が良かった時代だったため、「横浜劇場」があった当時は歌舞伎界全体が盛況であったようだ。
当時の「横浜劇場」の様子(絵葉書)
なお、「横浜劇場」が開場した翌年1921(大正10)年ごろの様子が、横浜都市発展記念館が発行している「シネマ・シティ」に載っていた。本文中で「横浜劇場」は高級な劇所であったと書かれている。
「シネマ・シティ」の表紙
「横浜劇場」が載っているページ(左下が「横浜劇場」)
このように、華やかに幕開けして好景気の中で盛況だった「横浜劇場」だが、その寿命は意外にも短かった。
「横浜劇場」は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災によって焼失してしまった。開場したのが1920(大正9)年の9月11日なので、「横浜劇場」は、わずか3年弱でその姿を消してしまった。
前後して、劇場が歌舞伎や芝居の上演よりも、映画(シネマ)を上演するものが中心となって行った。1911(明治44)年に開業した「横浜オデヲン座」を持つ横浜も例外ではなかった。加えて、関東大震災後、母体である松竹の経営が悪化したことなどもあって、横浜に「横浜劇場」が再建されるとはなかった。
当時のことを松竹に問い合わせても「(関東大)震災で資料が焼失したことと、当時を知る社員がいないので分からない」とのことだった。
取材を終えて
3年弱という短い期間であったが、横浜で歌舞伎の興行が盛況であったと分かった。その「横浜劇場」があった場所は、現在は、オフィスビルや住宅が建っていて、当時の面影は何も無いが、当時の様子を思い浮かべながら、訪れてみるのも良いものだ。
―終わり―
notarotachiさん
2013年12月24日 11時55分
横浜の歌舞伎にスポットが当たることは少ないので嬉しい反面、今回紹介されたのは横浜の歌舞伎のほんの一端にすぎないので、続報を期待します。横浜でヘボンの手術を受けた三代目澤村田之助、「ハマの團十郎」といわれた市川荒二郎、杉田劇場で活躍した三代目市川門三郎(白蔵)などなど、横浜にゆかりのある歌舞伎役者を紹介してほしいです。あと地芝居(素人歌舞伎)も!
しなのやさん
2013年12月21日 23時48分
昭和7年12月1日に開場し昭和20年5月の横浜大空襲で炎上した末吉町の歌舞伎座について一切触れていないのは、痛すぎる手落ちだと思います。「横浜劇場」は再建されなかったかも知れませんが、横浜歌舞伎は存続しました。末吉町の歌舞伎座の跡地は、現在公団になっています。
浜っ子五代目さん
2013年12月20日 19時38分
本文中の横浜オリヲン座→横浜オデヲン座の誤りでしょうか?