横浜市歌が歌える市民ってどれくらいいる?
ココがキニナル!
横浜市歌が歌える市民はどれくらいいるのでしょうか?(jbさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜市歌が歌える「横浜市民」は約43%だが、「横浜育ち」であれば約86%が歌える!
ライター:クドー・シュンサク
市歌指導の歴史を知るべく、横浜市教育委員会へ
教育委員会のあるビル内へ
市役所本庁舎のほど近く、民間企業も入っている関内駅前第一ビル内にある横浜市教育委員会指導企画課にて。
残念ながら課の方針で匿名、顔写真はNGとのこと
歌唱指導の歴史について聞いたところ、現在でも市立の小学校では校歌と共に横浜市歌は継続して教えられているそうだ。しかし、指導し始めた時期や、過去に指導していなかった時期があったのかどうかについては、確かな情報が確認できていないとのこと。
恐らく、戦時中は歌唱指導がなかったと考えられるが、それ以降の時代では現在と変わらず、教育の一環として指導されているとのことだ。
また、横浜市歌は昭和40年代に、原曲のままだと音階が高く、リズムの拍も取りづらいので、素人には歌唱や演奏が困難だとされた。それから何度か音階とリズムを変えるアレンジが施され、現在の横浜市歌の形になったという貴重なお話も伺うことができた。
調査の締めは、ランドマークタワー内にあるFMヨコハマにて、番組「E-ne!」の生放送に参加。そして横浜市歌への敬愛から、2003年に『横浜市歌~ ブルースバージョン』を作曲してしまったという噂の横浜出身ミュージシャンが現れるとのことなので、市歌にブルースの生き血を注ぎ込んだ経緯を直接伺うこ とに。
『横浜市歌~ブルースバージョン』at FMヨコハマ
本番前のブース内
市歌にブルースの生き血を注ぎ込んだ氏の名は中村裕介。
氏曰く、『横浜市歌~ブルースバージョン』は横浜市歌誕生から100年が過ぎ、曲が出来上がった後に詞をつけた原曲に対し、森鴎外の書いた詞に自分がメロ ディをつけてみようという発想から始まった。そして、外国の文化や音楽が根付いたこの街の歌なので、自分も愛しているブルースで創作してみようとなった結 果、およそ30分足らずで書き上げた楽曲だという。
この『横浜市歌~ブルースバージョン』。特筆すべきは、曲の構成や音階を変えるといった編曲と違い、一から作曲においての作業を施したという点である。
いじるのではなく、根こそぎ変えるというカタチ。すばらしい。
スタジオで『横浜市歌~ブルースバージョン』を生演奏してくれた中村裕介氏
鳥肌が湧き上がるような『横浜市歌~ブルースバージョン』
最高でした。お薦めします。
取材を終えて
横浜市民以外には、一種特有な文化に感じる横浜市歌の存在。
なぜここまで横浜市歌が横浜市民に愛されているのか。教育委員会の方や中村裕介さん含め、話をしてくれた多くの方が口を揃えたのが、その歌詞である。
わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
(わが日本は島国である。朝日が輝く海に)
連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
(島々が連なっているので、あらゆる国から船が通う)
されば港の数多かれど 此横浜に優るあらめや
(しかし港の数は多くとも、横浜に勝る港はない)
むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
(古くの横浜を回想すれば、粗末な軒が並び、炊事の煙がちらほらと上がる寂しいところであった)
今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
(しかし、ご覧いただきたい。今は多くの船舶が停泊する港となった)
果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港
(果てなく栄えゆく横浜港には、今日もこの世を彩る文物が往来している)
横浜の歴史が練りこまれたこの歌詞。毎年盛大に祝われ、市立校は休日となる開港記念日。
横浜を劇的に変えた「開港」という出来事は、やはり横浜市民にとって特別な出来事なのである。
そうした歴史を代々受け継いできているという伝統とそれに対する敬意。
実際に歌っていただいた方々や、歌唱指導をこれからも続けるという教育委員会。そして曲に新しい命を吹き込み歌い続ける中村裕介氏。
表現や想いは様々であるが、横浜市民がそれぞれの愛情表現を横浜市歌に持っている印象は、強く感じた。
“横浜市歌”はハマっ子永遠の誇りといえる。
いつまでも歌い、語り継がれるという、素晴らしい誇りであるように。
― 終わり ―
新横浜市民さん
2019年05月19日 18時57分
小中学校の式典等で、君が代斉唱、校歌斉唱までは「面倒臭いな~」と思いますが、横浜市歌斉唱の番になると許せてしまいました。そして、横浜市大の入学式でも歌われます。
rumoさん
2018年04月17日 23時33分
昭和40年代、横浜で生まれ育ったが、横浜市歌を教わったことも無ければ、そもそも存在すら知らないなぁ…、と思っていたのに、YouTubeで見つけて聞いてみたら、ほぼ完ぺきに歌えてしまいました…。音楽というものは、埋もれていた記憶を掘り起こすものですね。青春時代の曲を聴くと思い出が鮮明によみがえったり。アンケート調査では横浜市歌を知らないと答えた人も一定数いたようですが、しかし音源を聞いてもらったら、異なる調査結果になるのでは?
浜の風さん
2018年04月17日 00時57分
森鴎外の詞であることを中等部在学の時分に知ったなぁ。国語師範が舞姫を教授するときに横浜市歌を口ずさみ、それに学友皆がつられて合唱したのを思い出してしまいます。横浜の気風は、実践躬行、軟派を許さぬ益荒男!しかしてこの横浜の土地に固有の素晴らしい詩が生まれたのだと信じています。面白い記事をありがとう、さらなる更新を待っています。しかし、<されば>の訳が<しかし>と云うのはおかしい。訳者は<されば>を<されど>と混交しているのではなかろうか。さればの口語訳としては、そうであるから、しかして、などが適切であろうと考える。もし鴎外が<しかし>の意味を表していれば次に来るのは反語であるはずである。港の数多かれどは決して反語ではない。