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「カツカレー」は元横浜市長が考案したって本当?

ココがキニナル!

カツカレーの元祖は千葉茂(元巨人軍選手)ではなく平沼亮三元横浜市長が考案したスポーツライスだと聞きました。福沢諭吉の弟子であり日本陸上競技連盟の初代理事長でもあったそうです(三ッ沢さん)

はまれぽ調査結果!

平沼亮三は戦前、スポーツライスと称したカツカレーを来客に振る舞っていた。しかし現在のカツカレーの祖は銀座スイスと思われる。

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ライター:松崎 辰彦

平沼亮三がカツカレーを創った?



カツカレーの発案者は元横浜市長の平沼亮三(1879~1959)であるという説がある。 
平沼亮三は現在の横浜市西区平沼町を埋め立てた平沼九兵衛の孫として生まれ、父亡きあとは家業の製塩を継ぎ、やがては議員となり、最後は横浜市長(在任1951~1959)として人生を全うした人物である。
幼いころより何よりスポーツを愛し、野球への貢献から1974(昭和49)年には野球殿堂入りも果たしている。
 


平沼亮三(フリー画像より)


慶応義塾の幼稚舎時代には寄宿舎の生活も経験し、そのころはまだ福沢諭吉も存命で、亮三はその謦咳(けいがい)に接している。
 


亮三が卒業した慶応大学
 

福沢諭吉の像


彼は戦前、投稿にもあるように横浜翠嵐高校近くにある邸宅に人を呼んではスポーツに興じ、汗をかいた後には「スポーツライス」と称してカレーにカツを添えたものを振る舞ったといわれている。
 


平沼亮三一家(亮三は椅子に腰掛けている)(提供:横浜市史資料室)


1925(大正14)年日本陸上競技連盟の初代理事長に就任し、1932(昭和7)年ロサンゼルスオリンピックや1936(昭和11)年のベルリンオリンピックの団長を務めたことでも知られ、生涯を通してスポーツを愛した人物だった。
 


 

第10回国民体育大会神奈川県大会で炬火(こか)の最終者として炬火台へ点火
(提供:横浜市史資料室)


スポーツライスに関して、亮三の孫である平沼泰三氏はいう。
「私が生まれたのは1946(昭和21)年で、そのときにはすでに『スポーツライス』を振る舞う習慣はなく、私もそんなことがあったなどとは聞いたことすらありませんでした。スポーツライスに関しては、その後出版物などの文献を読んで知ったような次第です」
 


平沼泰三氏


スポーツライスが来客の食欲を満たしていたのは戦前であり、戦後、3000坪という広大な平沼家は米軍に接収され、一家は近所に仮宅を作り、そこで暮らさなければならなかった。そして亮三は1951(昭和26)年に横浜市長に就任し、彼は公舎に住むことになり、幼かった泰三氏らとは離れた生活になった。
 


平沼亮三と子ども時代の泰三氏(一番右)




平沼家のカツカレーは戦前の話



泰三氏はときどき公舎に亮三を訪ねたが、とにかく家には人が多かったという。市長だから来客が多いのは当然だったが、それに加えて亮三は人を呼ぶのが好きだった。
ただ当時、喉頭ガンで声帯の手術をした亮三は、言葉を話すときに喉に手をやる習慣があり、それが幼い泰三氏から見ても痛々しい印象だったとのことである。
 


喉に手をやっている亮三


「亮三は面倒見がよかった。それから人を集めるのが好きでした。いつ行っても大勢の人がいました」
 


自宅で鉄棒を披露


現在はみずからマンション経営などを行っている泰三氏だが、サラリーマン時代には昼食時に銀座スイスを訪れていたという。当時は亮三がカツカレーの祖といわれていたことなど一切知らず、したがって銀座スイスともそんな話はしたことがなかった。

「平沼家のカツカレーは戦前だけの話で、もちろん商品化などしていません」

平沼家のスポーツライスは戦争前のエピソードであり、千葉茂の発案よりも先んじていたことは間違いない。しかし、スポーツライスはその後、平沼家で復活せず、泰三氏のような直系の子孫もその話を耳にしたことがないとなれば、現在国民食として愛されているカツカレーは銀座スイスが創り、広めたものと考えるのが妥当ではないだろうか。
 


三ツ沢公園にある平沼亮三の像


もちろん広い日本でほかにカツカレーを発案した個人や食堂があった可能性も大いにあるが、今となってはそれらをすべて調べるのは無理であり、またあまり意味があることとも思えない。カツカレーの元祖争いは“話のタネ”に留めておくのがよろしかろう。
ところで泰三さん、カレーライスはお好きですか?
「大好きです!」



取材を終えて



亮三に関して、泰三氏は“今の政治家のようなギラギラしたところがまったくなかった人”という。根っからのスポーツ好きだった亮三は、市民からも愛され、逝去に際しては横浜市葬が行われた。中区の横浜公園内平和球場で行われた葬儀には3万人が会葬したという。
現在では「平沼亮三」の名前にピンとこない若い市民も多いだろうが、かつてこのような清廉な人物が横浜の顔として活躍していたということは、心に銘記しておきたい。
 


平沼亮三を記念して作られた平沼記念体育館


そして銀座スイスには、カツカレーの元祖か否かはともかく、このようなおいしいものを創り上げ、育ててきた伝統と職人技に敬意を表したい。


─終わり─
 

参考文献
『聖火をかかげて ─スポーツ市長・平沼亮三伝─』松本興(駿河台出版社)
『横浜物語 ─小説・平沼亮三─』白土秀次(兼六館出版株式会社)

 

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  • 孫の泰三氏とは小学校時代を共にし、広大な庭の豪邸によく遊びに伺い 美しく優しい母上に好くして頂きました。まさに当時横浜市長でいらした亮三氏に関する話も時折耳にして、また私の両親からも敬愛の念を聞かされておりましたので 解らないながらも尊敬致しました。逞しい泰三氏には仲の良い いとこで同学年の全くタイプを異にする美少年のまこと氏がいてよく一緒に遊びましたが、私は5年生で転校して残念ながらそれ以来です。とても懐かしく回想しつつ拝見致しました。

  • 平沼さんは、大変に人気があり、東京五輪の時は、聖火ランナーとしても走ったそうです。なかなかの良い男で、その孫の一人が俳優の石坂浩二ですが、よく見るとさすがに大変に似ていますね。

  • 泰三氏の元祖に拘らないところも人柄が表れていて好感だ。何れにしろ、一度銀座スイスでカツカレーを食べてみたくなった。

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