「浜マーケット」付近の変な名前の駄菓子屋とは?
ココがキニナル!
以前、磯子区に不思議な名前の店がありました。腰越プール前にあった駄菓子屋”とっきょ”。段ボールを積んでおもちゃを売っていた”うっぷ”誰かが勝手に付けたかもしれません。由来が気になる。(たたたさん)
はまれぽ調査結果!
「うっぷ」というあだ名は近隣に住む人により、店主の口癖からつけられたもの。「とっきょ」もあだ名と思われるが、由来は不明。
ライター:小方 サダオ
「うっぷ」の名付け親に出会う
腰越公園プールの周辺には、あまり古い事情を知る人はいないように思われたため、再び浜マーケットに戻り、商店街内の鳥徳精肉店の店員に「とっきょ」に関して伺うと「『とっきょ』は、ゲーム機が置いてあり、かき氷やおでんなどを売っていました。ゲーム機があったから「特許を取る」という意味なのではないでしょうか?」
浜マーケットの店員に話を伺った
「ゲーム機の開発に関して特許を取る」というのなら意味が分かるが、「ゲーム機を店内に置くこと」を「特許を取る」とは言わないのではないだろうか?
しばらく商店街の人たちに話を伺うも、「うっぷ」と「とっきょ」に関して具体的な回答を得られないでいた。
片野青果店の店主
すると1961(昭和36)年創業の片野青果店の店長、片野武(かたの・たけし)さんに話を伺ったところ「あはははは! 『うっぷ』は俺と兄貴がつけた名前ですよ」と笑いながら答えてくれた。
まさか名付け親に行き当たるとは予想していなかったことと、店主が大きな声であったこともあり、驚いた。
おもちゃ屋さんの「うっぷ」は国道16号線とは反対側の浜マーケットの入り口付近にあった
「40年ほど前まで、片野青果店の店前に、いつも同じチャンチャンコを着ているハゲ頭のKさんというおじいさんが住んでいました。お店は戦後15年経ったあたりから始まったようです。同年代くらいの女性と2人暮らしで、2階建て住居の2階に住んでいました。1階はほかの人に貸してお菓子屋をやっていました」
Kさんはこのような木造2階建てに住んでいた
「そして5メートルほどの家の前の空間で、リンゴ箱やガラクタなどを積んで陣取り、その上に、メンコやカード、駄菓子屋にあるようなオモチャなどを並べて売っていたのです」
「今はその場所が道路になっていることから推測すると、自分の家の前の市道上に無断で空き箱などを積んで店構えを作り、商売をしていたのではないでしょうか?」
左側の自転車のある場所あたりにKさんは店を出していた
1965(昭和40)年代の写真。左側の空き箱などが積まれた場所が「うっぷ」
上の写真に近い画角で撮ったもの
「Kさんは私たちの店からリンゴの箱などを拝借していたのですが、私の父は大らかな性格のため本人に文句は言いませんでした」と答えてくれた。
お店の脇に積まれた片野青果店の空き箱(写真左)
そしてキニナルあだ名の由来に関して伺うと「『うっぷ』の由来は、冬場の寒い日に店内で椅子に座っていたKさんが、お客が来ると手をさすりながら『うっぷ~(う~っ、ぶるぶるの意味)、いらっしゃい』『うっぷ~、何にしましょ』などとよく言っているところから私たち兄弟が名づけたものです。そのあだ名は広まったため、今40~50代の磯子小学校出身の人なら、知っている人もいるかもしれませんね」と答えてくれた。
Kさんは「うっぷ~」が口癖であった
店主が寒い日に出るうめき声から名づけられたようで「あったかい時にはその声を出さないのでは?」と伺うと「それが夏でも『うっぷ~、いらっしゃい』といっていましたよ」と答えてくれた。
口癖を元にした単純な理由からだが、寒そうに手をさするおじいさんの様子が目に浮かぶようで、分かりやすくて親しまれやすいあだ名と言えよう。
昭和の風情漂う浜マーケット
さらにKさんについて伺うと「普段は温厚な人なのですが、怒らせると怖いです。一度店の向かい側から『ヘイ、うっぷ~!』などと言ってからかったところ、下駄を履いて追いかけてきて、友達は自転車を壊されました」
「今の親だと本人に文句を言いに行くところでしょうが、友達はそのことを親に告げ口すると、反対に『おじさんの悪口を言うからだよ、お前が悪いんだから自転車は買ってあげない』と怒られたそうです」
「しかし、機嫌が良い時は『あがっていけよ』などと家に招き、お菓子をくれたりしました」
「またちゃっかりしたところもあって、一度私がふざけて、わざとお店の前にメンコを落としていったところ、翌日商品として店に並べられていました」
浜マーケット内の駄菓子店
「このあたりは下町でしたからね。あのころは下町を舞台にした『三丁目の夕日』を彷彿とさせる時代で、いろいろありましたが楽しかったです」と答えてくれた。
「浜マーケット」のホームページには「戦後の闇市が発展してできた 『浜マーケット』。 戦後まもなくの1945(昭和20)年の暮れごろ、戦時中に空地になっていた『疎開道路』の一部分、約11メートルの道に、一間間口(1.8メートル)の店が片側5~6軒、全部で10軒ほど並んだのが、浜マーケットの始まりだった」
浜マーケットは戦後の闇市から始まった
「始めはゴザを敷いた上に野菜や乾物を並べるだけだった。そのうちみかん箱を置くようになって、よしず張りになり・・・今のようなアーケードが出来上がったのは1954(昭和29)年のこと」と書かれている。
「うっぷ」はまさに、初期の「浜マーケット」の雰囲気を残すお店だったのだ。
アーケード式になったのは1954(昭和29)年からだ
次に「とっきょ」に関して伺うと「店主を『とっきょのおじさん』などと呼んでいましたが『とっきょ』の名の由来は知りません。昔からそう呼ばれているようです」
「あのころは『テーブルテニス』『ブロック崩し』『インベーダーゲーム』などのテレビゲームが流行りましたが、最新式ではなく、型落ちしたものを安く仕入れて店内に置いていました」と答えてくれた。
「とっきょ」の店内には型落ちしたテレビゲームが置かれていた
そして片野さんは、2代目店主の息子で、初代店主の孫にあたるOさんと知り合いだということで電話をしてくれることになった。
すると現在30代のOさんは「うちの店が『とっきょ』と呼ばれていたことは知っていましたが、なぜかは分かりません。私が知りたいくらいです」と答えてくれた。
「とっきょ」というあだ名の由来は、店主の親族も知らないようだ。