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老舗百貨店「松屋」は横浜発祥って本当?(中編)

ココがキニナル!

銀座の松屋が昔、石川町付近にあったらしいのですが面影は?(yokkoさん)松屋が、単に伊勢佐木町にも有ったし戦前吉田橋のたもとにあったが位置関係がわからない(ushinさん)

はまれぽ調査結果!

matuya吉田橋のたもとにあった松屋呉服店は、現在は首都高となっている川沿いの関外側に、吉田橋と羽衣橋にはさまれるようにして建つ壮麗な建物だった

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ライター:永田 ミナミ

吉田橋鶴屋呉服店はどこにあったか

さて、鶴屋呉服店は「吉田橋のたもと」に移転、開業したわけだが、先ほどの写真に映っていた仮建設は建物のみで、吉田橋との位置関係は分からない。

しかし吉田橋横浜支店の本建築が着工すると、写真はぐっと増える。
 


手前の橋は欄干(らんかん)の街灯のかたちから羽衣橋とわかる(提供:株式会社松屋)

 
横浜支店の本建築は、1929(昭和4)年の2月1日に建設準備として営業所を真砂町の馬車道別館へ合併したあと、5月11日に着工し、翌年1930(昭和5)年9月29日に完成した。川沿いでの建築は地盤が弱く、基礎工事で1300本の杭が打たれたほか、水面下となる地下階に防水工事も施された。
 


完成した地下1階、地上7階の鉄筋コンクリート造の壮麗な建物を眺める(提供:株式会社松屋)

 
新店舗は翌30日まで2日間の開店披露ののち、10月1日に開業した。そしてこのとき、これまで横浜では「鶴屋呉服店」だった名称が東京と同じ「松屋呉服店」に改称、一元化され、ついに「鶴屋」の名前は横浜とその歴史から姿を消すのである。
 


この写真絵葉書「横浜吉田橋」には画面左手に「店服呉屋松」の文字が写る
(提供:横浜市中央図書館)*画像をクリックで拡大

 
この開業にともない、吉田橋松屋〜横浜駅間の顧客送迎バスの運転も開始された。さて、上の写真絵葉書を見ると、松屋呉服店横浜支店の店舗は2つの橋にはさまれるようにして建てられていて、どちらが吉田橋なのか、またどの方角から見たのかちょっと分かりにくい。
 


しかしこの「伊勢佐木町・吉田橋」という写真を見れば一目瞭然
(提供:横浜市中央図書館)*画像をクリックで拡大

 
写真の画面右側にイセビルが写っているのだ。
 


何と頼もしいランドマークだろう(2015〈平成27〉年11月撮影)


そうなると派大岡川を復活させた位置関係はこういった感じになるだろうか


川がない現在と松屋呉服店との位置関係はこんな感じ

 

建築について

派大岡川は1971(昭和46)年から埋め立てられ、現在は首都高速神奈川1号横浜線が走る。
 


横浜支店があったあたりは首都高を見おろす穴がぽっかりと開いているばかり

 
当時は周辺に高い建物も少なく「四方の高台から七階建の建物はよく目立(松屋百年史)」ち、「屋上からは中村町、山手裏、本牧方面を除く地域を一望のうちに眺めることができた(松屋百年史)」という。
 


モータリゼーションは近代化の必然だったが、街と河川がつくる景観は歴史の必然だった

 
7階はステンドグラスから採光し、落ち着いた暗褐色の外観で建てられた「近代的様式に日本趣味を採り入れた優雅な建物(松屋百年史)」は、1930(昭和5)年に横浜市優良建築として表彰も受けた。そんな当時の風景を天然色で見てみたいなと思ったら、カラーの資料も見つかった。
 


「眼下に眺むる吉田橋と伊勢佐木町通り」(提供:都市発展記念館)
 

正面玄関はイタリアやベルギー産の大理石を用いた重厚な造りになっていて
(提供:株式会社松屋)
 

そこをくぐると港町らしい操舵機をかたどった金色の装飾が施された扉があった
(提供:株式会社松屋)
 

エレベーターもエレベーターガールもとてもエレガントであり(提供:株式会社松屋)
 

夜になればこんなふうに窓から漏れる光が街を照らしたのだった(提供:株式会社松屋)

 
さて、吉田橋松屋呉服店開店から3年後の1933(昭和8)年8月29日、伊勢佐木町では、明治16(1883)年創業の越前屋呉服店が閉店する。越前屋は、鶴屋、野澤屋、相模屋とともに横浜四大呉服店ともいわれ、野澤屋と軒を並べる「白色煉瓦造の3階建の店舗は伊勢佐木町の名物(松屋百年史)」だった。

多くの呉服店から百貨店へと発展していくなか、1931(昭和6)年5月、越前屋呉服店も地上7階、地下1階の鉄筋コンクリート造の新店舗を開業させた。しかし、その莫大な建設費用の負担に震災後の不況が重なり経営不振に陥ったためであった。



そして伊勢佐木町へ

今回は関東大震災後、創業の地である石川町亀の橋から伊勢佐木町の吉田橋へ移り「鶴屋呉服店」から「松屋呉服店横浜支店」としての道を歩み始めるまでを紹介した。

横浜における松屋はこのあと伊勢佐木町へと展開していくのだが、残念ながら紙面が尽きた。次回はいよいよ戦中戦後についての完結編である。


―続く―

参考文献『松屋百年史』社史編集委員会編/松屋/1969

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  • 「松」だの「鶴」だの「亀」だの縁起がいい。(笑) 今とさほど変わらない「松屋呉服店」の建築の様子。鉄骨の写真を見て驚きました。話は変わりますが横浜駅西口にある"鶴屋ビル"は前身の「鶴屋呉服店」と関係があるんでしょうか?

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