「動かすと事故が多発した」川崎の六地蔵とは?
ココがキニナル!
稲田堤駅近くを通る、府中街道沿いの菅の六地蔵について調べて下さい。一部のお地蔵さんは一度移設されたあと、周辺で交通事故が多発したため戻されたようですが、詳細な経緯が気になります(SUICAさん)
はまれぽ調査結果!
厄除けとして、街の境界線とその間に地蔵が立てられている。古くなった第四地蔵を移したところ交通事故が多発したので元の場所に戻した。
ライター:小方 サダオ
府中街道沿いに立つ「菅(すげ)の六地蔵」(つづき)
次にそれぞれの地蔵に関しては・・・
まずは、第一地蔵から。
東京都稲城市と川崎市多摩区の境目にある
かわいいよだれかけで祀られた第一地蔵
柄香炉(えごうろ:柄のついた香炉)を持っているという
資料によると、第一・樋口(とよぐち)の地蔵は、両手で仏具のひとつである柄香炉らしきものを持つとある。
続いて、第二地蔵。
街道を向いて第二地蔵堂がある
合掌をしているという
第二・島口(しまぐち)の地蔵は、合掌をしている。
第三地蔵は・・・
住宅に並ぶように第三地蔵堂がある
両手で柄香炉を持っているという
第三・塚戸(つかど)の地蔵は、第一・樋口の地蔵と同じく、両手で柄香炉らしきものを持っている。
次に第四地蔵。
第四地蔵堂には3体の地蔵がいた
合掌する姿の第四地蔵
第四・出店(でだな)の地蔵は、第二・島口(しまぐち)の地蔵と同じく、合掌をしている。
続いて、第五地蔵。
第五地蔵堂は街道を向いていない
右手に錫杖(しゃくじょう:僧などが持つ杖)、左手に珠らしきものを持つ
第五・火打島(ひうちじま)の地蔵は、右手に錫杖、左手に珠らしきものを持っている。
最後の第六地蔵は・・・
生田町から菅馬場に入ったところに立つ第六地蔵
両手で珠らしき物を持つ
文献によると「第六・馬場の地蔵は両手で珠らしき物を持つ。第一と第三、第二と第四の地蔵は同じ種類と思われる。同じものが2体ある理由は分からない。これでは六地蔵ではなく、四地蔵である。長い間の内に壊れて作り直したものが同じものだったのかもしれない」とある。
6つの内2体が同じ種類の地蔵である可能性があるという
また文献には、台石に6つとも同じように「功徳主(くどくぬし) 武州橘樹郡(ぶしゅうたちばなぐん) 菅村衆中(すげむらしゅうじゅう) 宝永四 丁 亥 歳(ほうえいよんひのといとし) 三月吉日 化縁比丘(かえんびく) 宗縁勤誌(そうえんきんし)」と掘ってあるとあった。
その意味は「宝永四年に菅村の人によって祀られ、仙谷山寿福寺中興(せんごくざんじゅふくじちゅうこう)第二十二世観渓宗縁和尚(せいかんけいそうえんおしょう)により村人の病気・平癒を祈って供養され、台座に刻印されたものなのだ」という。
「六地蔵は1935(昭和10)年ごろと平成初期の道路拡張工事などで建立場所が変わっている。昔正月にはお供え物をあげたり、2月の節分には豆まき、お盆の迎え火・送り火にはお線香をあげたりした。昔の人たちは地蔵様に子供の幸福・安全・病気厄除けなどを祈願するためにあつく信仰したが、現在は信仰は薄らいでいるようだ」とある。
六地蔵は道路拡張工事などで建立場所を変えている
つまりは、江戸時代から菅地区の人たちによって丁重に祀られてきた地蔵尊なのだ。
次に郷土史家の方に、さらに詳しいお話を伺うことにした。