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栄区の「しびれ」という謎の地名の由来は?

ココがキニナル!

昭和41年戸塚区明細地図に柏陽高校の東(旧大船PX)、鍛冶ケ谷カトリック教会の南側に「しびれ」という地名が見えます。一体どういう由来があるんでしょう・・・?(紀洲の哲ちゃんさん)

はまれぽ調査結果!

「しびれ」の由来は、栄区にある證菩提寺(しょうぼだいじ)と関連のある地名で、当時の僧侶の名前の一部から名づけられた可能性がある。

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ライター:小方 サダオ

證菩提寺について



それでは證菩提寺とはどのような寺であったのだろうか。

 

證菩提寺の本堂
 

證菩提寺の宝物庫
 

栄区のホームページと證菩提寺略縁起(りゃくえんき)によると、由緒に関しては「1180(治承4)年、源頼朝は平家との合戦のため伊豆で挙兵したが、平家の多勢に押されていた。佐那田与一義忠(さなだ・よいちよしただ)という若武者が頼朝の身代わりとなって、頼朝を上総(千葉県)に逃がした」という

「その後、頼朝が鎌倉に幕府を開くと、1189(文治5)年に佐那田与一義忠の霊を弔うために證菩提寺を建立した」とあった。

 

国指定重要文化財の阿弥陀如来像
 

かつては広大な敷地をもっていたこの寺の建立理由は「鎌倉の一大穀倉地帯であることに加え、鎌倉の北東=鬼門にあたる『山内本郷』を守るため、戦略的に重要な道沿いの監視所としての役割を持っていた」とある。

 

鶴岡八幡宮(緑矢印)、證菩提寺(青矢印)(Googlemapより)
 

「鎌倉三道の交通の要衝を固めつつ一大軍事基地として、武器生産のため職人や工人(こうじん)を集めたことは、昔、中野町にあった『番匠(大工の古称)面』という場所と、鍛冶ケ谷などの地名から推測される。約1000平方メートルもの広さで、『阿弥陀如来堂』を中心に7つのお堂があったとされ、これだけの広大な敷地を持つことができたのは、鎌倉幕府の力に支えられていたためと考えられる」とのこと。

「源氏の衰退とともに荒廃したが、後に北条泰時の娘、小菅ケ谷殿によって1235(嘉禎元)年に桂台のあたりに再建された新阿弥陀堂が中心となった。現在の小菅ケ谷町はその小菅ケ谷殿の荘田(そうでん:所有地)などがあり、ここに居住したので村名になったという」とある。

 

鍛冶ケ谷町(青線)、中野町(赤線)、桂台(緑線)、小菅ケ谷(オレンジ線)
(Googlemapより)※クリックして拡大
 

3代執権北条泰時の娘の屋敷・小菅ケ谷殿からついた地名だという
 

「1237(嘉禎3)年は北条泰時の姉にあたる北条政子の13回忌に当たり北条家は法要を営んだ。翌年に仏教聖典である『一切経五千余部』を三井寺園城寺(みついでらおんじょうじ)に寄進しているから、この新阿弥陀堂建立も北条政子の追善供養のためと考えられる(『一切経五千余巻』を書写し奉納することで死者の供養を行っていた)。現證菩提寺には新・旧両阿弥陀堂の2体の阿弥陀如来がある」とある。

 

国の重要文化財の阿弥陀三尊像
 

次に證菩提寺の一守隆真(かずもり・たかさだ)住職に話を伺うと「『しびれ』という地名に関しては詳しい資料は残っていません。ただ『志比礼(しびれ)の内の一文字を当時の僧の名前から取った』という話は伝え聞いています。おそらく最初の一文字“志”ではないかと思われますが、行弁という僧侶とは違うほかの僧侶の名前から取ったのかもしれません」とのこと。

文献に出てくる行弁という僧の名に“志”の文字は含まれていないが、残念ながら詳細は分からないようだ。

 

境内に鎮座する石仏
 

北条泰時の娘の屋敷があったという小菅ケ谷の近くに「しびれ」と地図に書かれていることに関して伺うと「證菩提寺は鬼門封じであり、相模の国からの侵入する兵の監視の役割があったと言われ、境内や敷地が幕府より広く与えられていました。公田のあたりまで敷地があったと言われているため、小菅ケ谷近くまで当院と関係した『しびれ』という字名がついていた可能性はあります」と答えてくれた。



しびれは屋号とも関係がある?



前出の柳下さんによると「当地付近のI家の屋号にも残っている」とのことだったので、話を伺うことにした。

 

住宅に記されたI家の家紋
 

I家の関係者に伺うと「当家の屋号で、今はありませんが、以前は志比禮に関する資料を持っていました。当家は代々農家だったと思います」と答えてくれた。

志比禮は前出の供僧の田んぼがあったという場所であり、I家はその田と関連のある農家であったのかもしれない。

さらに中野町に住む中年女性に伺うと「法務局で住所証明書を取った時、『中野町(志びれ)』という番地表示がされていました」と答えてくれた。

現在もこの字名は使われているようだ。

 

I家の土地があったあたり
 



取材を終えて



広大な土地を有していた、證菩提寺の僧侶に関係した地名「しびれ」。その字名が1km以上先の土地に残っていることは、この場所が鎌倉幕府にとって重要な拠点であったことを証明しているといえよう。

 

鎌倉幕府の重要拠点であった證菩提寺
 


―終わりー


取材協力
栄地域史研究会

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  • このレポートは、この地名が古い、近くに寺院があった、ということしか説明しておらず、地名自体の由来は何も説明していない。根拠もなく僧侶の名前などという民間語源説を信ずるべきではない。港北区のある有名な神社は、獅子ヶ谷、大口、樽などの地名はすべてその寺に由来するなどとウェブサイトに書いている。シシは崖を意味する地名用語、大口は谷戸の名前、タルも地名にはよくある地名用語で、神社とは関係なからろう。地名はもっと科学的に研究しないと。

  • 実家の近くが、こんなにも古くから、鎌倉幕府に関わる土地であったのかと、思いました。昔は、ただの山だったと思っていたので。神奈中バスで見る中野町経由が、中野村だったのですねぇ。 日本は、歴史がありますね。

  • この調査の主は、地名というものの性格や命名基準、地名をあてる漢字の不一致なことなどが分かっていない。確たる証拠もなく、ただ記録上の漢字表記を重視しすぎてはいけない。また有名人の存在やその氏名が田畑に使われるのは一般的でない。この調査は、しびれに近音の地名のことを全く無視している。全国の同種、同音、近音の地名から、地形などから比較して地名の意味や由来を探るのが、このような場合、最もとるべき方法であって、それを抜きにした地名研究は大事な過程を踏んでいないと言わざるをえない。

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