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絶版の絵本に導かれ、横浜市電引退後の第二の人生に迫る!

ココがキニナル!

廃止された横浜市電の車両、市電保存館以外での行先や現状は?/緑区長津田みなみ台7丁目の公園にある「市電記念碑」はなぜあんなところに?いつから?車輪は本物?(よこはまいちばんさん/ozaさん)

はまれぽ調査結果!

市電は全部で37両と2車輪が民間供出され、図書館、自治会館などさまざまな第二の人生を歩んだ。緑区長津田の後谷公園の「市電記念碑」はその名残

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ライター:紀あさ

藤沢市の市電歯科「浜名歯科医院」、511号



市電の大ファンで、市電の神様とも呼ばれ、市電関連の著書を多く残した長谷川弘和(はせがわ・ひろかず)さんは、本業が歯科医であった。

筆者は市電の「第二の人生」を探る中で、電車なのに「人」生っていうかな? と疑問に思ったこともあったが、長谷川さんはそのはるか上を行き、市電を指す表現に「彼女」という言葉を用いた。
 


『鉄道ファン』での連載中には「彼女らの命があと3ヶ月かと思うと」とつづられている


そのため、絵本の中の市電歯科は、彼へのオマージュたる空想かもしれないとも考えていたのだが、簡さんが市電歯科に覚えがあるというなら、実在した可能性が高い。

市電歯科ってありえなそうだけれど、あったらすごいな。
 


調べると『ちんちん電車70年史』に「浜名歯科」看板前の車両写真を発見!


長谷川さん著書内の供出車両一覧表には「個人(浜名信也)」とあった


場所は、藤沢市長後。
 


現地へ行くと、「浜名歯科」ありました!


診察終了後に、院長の浜名徹也(はまな・てつや)さん(50歳)と、母の節子(せつこ)さんに話を伺った。浜名歯科は1935(昭和10)年生まれの故・浜名信也(はまな・しんや)さんの代より続く歯科医であり、徹也さんは信也さんの息子にあたる。
 


よろしくお願いします


古いアルバムをめくる徹也さん「市電車両は私が3歳から20歳ころまでありました」


「市電を横浜の人に売り渡す」という内容の記事を見て「絶対ほしい」と信也さんが言い、節子さんが横浜市交通局に交渉に行った。

本来は横浜市内在住が条件だったが「子どもたちに、夢・楽しみのある待合室にしたい」との熱意を伝え許可がおりた。そして1969(昭和44)年に市電を供託された。


「みんながやらないことを俺はやる! そういう人でした」


車両代と運搬費は当時のお金で数十万円。当時は現在より医院の駐車場が広く、置き場は十分にあったが、運搬時に途中の細い道で車両が通らず、近隣の方の塀を一時壊させてもらったなどというエピソードも。
 


運搬設置の様子、本体と台車は別々に運んだ


そして市電歯科誕生。厳密には車両は診察室ではなく、待合室になった


絵本に載っていることは知らなかったそうで、浜名歯科は511号で待合室、絵本では508号で診察室、現実と物語とはやや異なる。


「絵本は、初めて見ました」


しかし、絵本に登場するほかの市電が1500形であるのに対し、市電歯科だけは500形の車号で描かれているのは興味深い。

500形が車両の長さ約9メートルに対し、1500形だと12メートルある。もし実際に存在した市電歯科が1500形だったら運搬時にもっと多くの塀が憂き目を見たに違いない。
 


創作絵本の持つリアリティーが絶妙!


「(同時期の民間供出のうち)ほかの1両はラーメン屋さんだって聞いたわ」と節子さん。

なんと! 供出車両一覧表にはラーメン屋さんと断定できる先はないが、飲食店という意味では絵本中の「市電レストラン」も完全な空想話ではないようだ。
 


レストラン「しでん」(『はしれほくらのしでんたち』より)


市電待合室は、施錠していなかったため、だんだん待合室というより公園のようになってしまい、ジュースやお菓子の袋が置かれたままになってしまった。次第に、吊革、ナンバープレートが無くなり、ブレーキのレバーもいつの間にか無くなってしまったそうだ。

そういったこともあり、1988(昭和63)年ころ、医院の建て替えの際に市電を撤去。最後は業者さんにバーナーで車両を解体してもらって運び出したそうだ。
 


数軒先の自宅に今も敷き詰められている、市電線路の敷石だった御影石(みかげいし)


今でも時折、511号を訪ねてくる人はおり、先日も「小さいころに電車があったと思って」と親になったかつての子どもが、自分の子どもを連れてきたそうだ。

なお、以前市電が置かれていた場所は、現在診察室になっている場所で、目を閉じれば、時空を超えた市電歯科が体験できるかもしれない。
 


「ちょうどこの場所に市電があったんです」


何歳で結婚して、何歳で建て替えをしたから、など過去を振り返りながら年号を思い出してくれた節子さん。
 


「時は随分経ったのね」


検証その2、完了!