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旭区の三叉路のド真ん中にある邪魔な像の正体は?

旭区の三叉路のド真ん中にある邪魔な像の正体は?

ココがキニナル!

旭区の今宿南町1848番地付近の三叉路の中心に墓なのか地蔵なのかよく分からない石でできた古い物体が置かれています。周辺は道が狭くこの物体のせいで通行しにくいです。あれは何ですか?(ねこみくさん)

はまれぽ調査結果!

古くからこの地域で祀られてきた庚申塚。像の鎮座していた塚を削って道を拡張したために、交差する道路上にあることが際立って見える形になった

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ライター:小方 サダオ

通行に不便な場所に残されている理由とは
 
この庚申塔だが、三叉路になっている道の中央にあることで、西と東を結ぶ一方の道の通行には干渉しないものの、もう一方の南から合流する道にとっては真正面の位置にある。そのため、この道は庚申塔を避けるように左右で分岐する格好になっている。
 


像は南側からの道(青矢印)の真ん中に位置している

 


東西に延びる道(緑矢印)、南側からの道(青矢印)、像(青枠)。(Googlemapより)
 

南側の道から見た像

 
特に南側の道から合流する車にとっては注意が必要のように思えるが、地元の人はどのように思っているのだろうか。
 
庚申塔だと教えてくれた男性は「道の中央にあるため、『どけろ』という声もありましたが、そのままにしています。真ん中にあることで車は気を付けるので、かえって事故は少ないです」という。
 
次に和気あいあいと畑仕事をしていた数名の地元の男性たちは「農道の中にある道しるべの意味があったようです。『邪魔なのでどかしてほしい』『もっと土台を削って小さくして欲しい』という声はありました。しかし神様をどかすと悪いことが起きそうでそのままになっているようです」とのこと。
 
地元の人たちの中には、道路上にある像を邪魔に思う人もいるようだ。

続いて像のある交差点の近くに古くから住む男性に伺うと、この三叉路は一度拡張工事をしているのだという。
「東西に延びる道は、東京都の多摩丘陵のあたりから木を切りに行って運んだりするための、馬車の通り道だったために狭いのです。しかし30~40年前にBさんが食品工場を作り、『工場で使う三輪の自動車を通したい』ということで道路の拡張をすることになったのです。以前はもっと大きな土塁の上に立っていて、片方の道はもっと狭かったです」という。
 


狭かったために大きく拡張した道路(緑矢印)、像(青枠)
 

像(青枠)と拡張した道路(緑矢印)(保土ヶ谷区詳細地図1962<昭和37>年)
 

像のある交差点(青矢印、1967<昭和42>年の航空写真)

 
以前、像は土塁の上に立っていて、周囲の道はもっと細かったために拡張されたものの、南側の道路の真ん中に位置する形になっていたことは変わらないようだ。
 
像にまつわる事故について伺うと「道路拡張後、通行したトラックの荷台からはみ出した足場がぶつかったりして、庚申塔を倒して引きずったりするようなことが何度かありました。そしてある事故の時落ちた像を戻す際に、西に向いていた像の向きを間違って取り付けてしまい、像は北向きになったのです。そのため近くに住むCさんから『自宅の敷地内に移転しても構わない』などの提案があったのですが、移転反対の主張が強く以前の場所と変わっていません」という。
 


像は南北方面の道(青枠)に向かって西(青矢印)を向いていた

 


以前は手前の東西に延びる道路に向かって縁まで台座があったが、広くするために削られた

 
また、庚申塔に掘られた文字についても教えてくれた。
「庚申様の日にはお祭りを、庚申塔の近くにテントを張る形で行っていました。庚申講は5人組や10人組などといわれる制度(※江戸時代に農村の住民の間に、年貢納入や治安維持のために設けられた連帯責任の組織)と関係があります。塔に彫られているのは、それらの組員の名前です」とのことだった。
 


庚申講は近隣住民の連帯責任の組織の制度と関わるものだという

 
庚申塔は近所の住民たちの団結力を表すものといえ、以前の位置を変えようとしないことにも、その団結力の強さが表れているのかもしれない。
 
そして像より少し遠い場所に住む農家のDさんに伺うと、像が動かされなかった経緯については
「1980(昭和55)年頃だと思いますが、像が道路の中央にあるのでどかそうと話になりました。像の隣のCさん宅の敷地内や壁にくっつける形で移転する話も出たのですが、当時のBさんの祖父が頑なに反対したのです」。
 
「Bさんは工場を経営していて、道が狭いと工場の車の通行に不便なため、Bさんの家からも『動かそう』とする声が上がったかもしれません。しかし当時の祖父の『神様だから、そこにある場所から動かすな』という声の力が強く、近隣でお金を出し合って、今の形にしたのです。しかし近隣住民が心配していたような大きな事故は意外と起こらないですね」という。
 謎の像はほかにもあった!? ・・・キニナル続きは次のページ>>