消防救急も横浜発祥? 日本大通りの「消防救急発祥之地」の記念碑の由来とは?
ココがキニナル!
日本大通り駅の近くに「消防救急発祥之地」の記念碑があり、山下町消防出張所のシャッターにも写真が。消防も横浜が発祥?/日本で最初に救急車が配置されたのは横浜?(Dixhuitさん/山下公園のカモメさん)
はまれぽ調査結果!
横浜最古の消防隊「居留地消防組」があった場所であり、日本で初めて消防車や救急車が配備された場所の一つ。当時の写真が山下町消防出張所にペイントされている
ライター:はまれぽ編集部
消防車と救急車のパイオニア
少し時間をさかのぼるが、大正に入ると、薩摩町消防組はいちはやく消防車も導入していた。
1914(大正3)年に開催された大正博覧会に出品されていたイギリス製の消防車を購入し、メーカーの社名を取って「メリーウェザー号」と命名されたそうだ。
横浜に初めて配備された消防車
山下町出張所の写真の中で消防車の運転席に乗っている人物は、増田万吉の養子の増田清とのことだ。
さらに『日本消防百年史』によると、1933(昭和8)年には、山下町消防署に日本の消防署として初めて救急車が配備された。この時配備された救急車はもとは浅野財閥の総帥浅野総一郎(あさの・そういちろう)が所有していたアメリカ製のキャデラックで、彼から寄贈を受けて救急用に改造したものだったという。
横浜に多大な貢献をした浅野総一郎の立像(写真は過去記事より)
1983(昭和58)年、救急車導入から50年の節目にこの地の歴史を顕彰(けんしょう)するために、当時の細郷道一(さいごう・みちかず)市長の揮毫(きごう)で、投稿の「消防救急発祥の地」の碑が設置され、同時に横浜初の救急車導入を伝えるプレートも設置された。
当時の救急車をイメージしたプレート
そして1994年、中消防署日本大通出張所が閉鎖され、現在の山下町消防出張所へと機能を移転した。この経緯から、山下町消防出張所も居留地消防組の流れをくんでおり、その歴史を踏まえ、2009(平成21)年の横浜開港150年の節目に、出張所のシャッターにかつての消防組の写真がラッピングされた。
取材に対応してくれた中消防署の担当者によると、2019年が前述の第二消防署の設立100周年にあたるため、節目のイベントを企画中だという。
先人が築いた歴史を引き継ぐ
一方、中消防署日本大通出張所があった場所では遺構などが整備され、現在のような状態になったというわけだ。
消防の歴史にまつわる謎
と、ここまで横浜の消防の歴史をお伝えしたが、解明しきれない謎も見つかった。
横浜の消防車や救急車が「日本初」かについては諸説あり、1911(明治44)年に大阪市がドイツのベンツ社から消防車を輸入したという記述(『日本消防史』〈草思社〉)や、1932(昭和7)年に大阪の日本赤十字社で救急車を配備したという事例(『日本消防百年史』)を確認した。このあたりは出典や定義によって見解が分かれそうだ。
ガス灯にビールなど、「発祥」について何かと大阪と縁が深い(フリー素材より)
いずれにせよ、横浜の消防がかなり早い時期から自動車の活用に注目していたことは確かである。
取材を終えて
150年前に始まった横浜の消防の歴史の一端が、碑文と山下町出張所のシャッターに受け継がれている。
何気なく見過ごしてしまいそうな施設だが、かつての消防隊の写真や遺構は、当時の横浜の人々の先進的なスピリットを今に伝えているといえるだろう。
ー終わりー
参考文献
『日本消防百年史』(日本消防協会・1984年)
『横浜市加賀町消防団100年誌』(横浜市加賀町消防団100年誌編集委員会・1994年)
『横浜もののはじめ考』(横浜開港資料館・2010年)
『横浜消防の歴史 居留地消防組から加賀町消防団第3分団の今日まで』(加賀町消防団第3分団・2009年)
『都市の記憶―横浜の土木遺産』(横浜市都市計画局都市デザイン室・1988年)