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キャンプ座間の下を通るトンネル!座間にUSAはあるのか?

キャンプ座間の下を通るトンネル!座間にUSAはあるのか?

ココがキニナル!

福生や横須賀など、米軍基地のある地域にはアメリカンな街がある。ということはキャンプ座間周辺にも「USA」な場所はあるのだろうか?(ライターのなかあき子のキニナル)

はまれぽ調査結果!

存在が感じられないほど地域に馴染んでいるキャンプ座間。ファミリーが多いため基地の外で遊ぶ軍人は少なく、周辺でアメリカンな空気はほとんど感じられない。しかしディープな「USA」体験が出来る場所だった。

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ライター:のなかあき子

米軍基地の地下を貫く生活道路
 
スシロールだけではない。キャンプ座間界隈では、物理的にディープなUSA体験もできる。
アメリカ領の中を通れる「市道新戸相武台線」があるのだ。総長1460メートルの市道で、1160メートルがキャンプ座間の真下を通り、510メートルが「新戸トンネル」と呼ばれるトンネルになっている。地下とはいえど基地の中を大胆に貫く、特異な生活道路なのだ。
出発地点は無人駅のJR相模線「相武台下」。
 


© OpenStreetMap contributors

 


USA感ゼロの「相武台下」駅前

 
駅を背に歩くこと約10分。地元の人しかわからないだろう場所に、通路入口はあった。「市道新戸相武台線」は現在拡張工事中、工事車両が並ぶ入口の上方に、星条旗が見えた。いよいよ基地の地下に突入である。
 


キャンプ座間・米軍地下への入り口

 
歩行者通路と記された看板の脇を抜けて、トンネルへ入る。現在は工事中で、歩行者と自転車のみが通行可能。照明のおかげで暗くはないが、人の気配はなく、正直不気味である。
 


トンネル入口の上に鉄条網

 


この真上は米軍基地

 


小田急線方面に向かう自転車

 
トンネルの出口まで、ゆっくり歩いて約10分。その間にランナー2人、自転車2台が通過。多いのか少ないのか、よくわからないが、日中はまだいい。しかし、夜の一人歩きはしたくないと感じた。出口付近にコンビニがあるのだろうか、レジ袋や、アイス、パンのゴミなどがあちこちに落ちていた。
 


トンネルを出て細い通路を進む

 


鉄条網が目立つ

 


フェンスの向こうはどうなっているのか

 

 
防犯カメラが見張っている

 


古そうな擁壁(ようへき)

 


基地からの落葉は、アメリカと日本、どちらが掃除するのか?

 


日本に戻ってきたよ!

 


基地エリアにはなかった落書き

 
30分ほど歩いて小田急線・相武台前駅近くに出た。異次元をさまよってきたような、不思議な時間であった。
 
 
 
軍都だった相模原・座間エリア
 
異次元体験の後、「市道新戸相武台線」について詳しい、「相武台ナベトロ遺跡をたどる会」の安藤和次郎(あんどう・わじろう)さんに、電話でお話を伺った。ナベトロ遺跡とは、昭和初期〜10年後期、相模川で採掘された砂利を、小田急線相武台前駅(当時は座間駅)まで運んでいたトロッコ軌道「小田急砂利軌道」のことを言う。貨車が鍋の形状をしていたので「ナベトロ」と呼ばれ、かつては現在のキャンプ座間内も走行していたという。
 
「市道新戸相武台線は、もともとは陸軍士官学校の相模原移転に伴い、整備された道です」
と、安藤さん。
キャンプ座間は、米軍司令部が座間市内に位置しているが、敷地全体の大半は相模原市に属する。市道新戸相武台線も座間市ではなく、相模原市側にある。敷地内の一部に、日本の陸上自衛隊が駐屯している。
 


安藤さんたちは相模原文化財展などで調査結果を発表している

 
1937(昭和12)年、市ヶ谷にあった陸軍士官学校が、現在のキャンプ座間の地に移転してきた。住民の生活道路が軍用地になってしまったため、代替道路として、江戸時代からあった道を整備して市道新戸相武台線は作られた。
 
「当時、新磯地区の住民の山林や畑が相武台地区にあり、農作資材や収穫物の運搬、江戸方面への道路として利用されていました」
と安藤さん。
 
市道は、相模川で採れる良質で豊富な砂利や玉石を使い、当時の先進的技術を取り入れて建設された。市道と士官学校の道路が交錯する部分には、トンネル方式が採用された。
 
戦局が緊迫してきた1944(昭和19)年には通行禁止となり、戦車の修理工場や防空壕、資材置き場となる。終戦後に陸軍士官学校は米軍に接収され、1946 (昭和21)年7月に道路の通行禁止が解除された。戦後はトンネル内に、米兵相手の女性が立っていた時期もあるというが、売春禁止法施を機にいなくなった。その後は主に農耕用道として使われていたが、相武台地区の宅地化により、1970年代には主に通勤・通学路としての役割を担うようになった。
 


市道に関する貴重な資料

 
トンネルは士官学校建設時の名残を留める貴重な歴史遺産だったが、老朽化が激しく、崩落などの恐れが出てきた。そこで、地元の要請と在日米軍の許可を受け、2011(平成23)年から改良工事中。片側2車線、幅員10メートルの道路になるそうだ。
 
「住民と米軍の関係において、現在は殺伐とした話は聞きません。地域のお祭りに米軍楽隊が参加したり、花火大会や桜祭りなどのキャンプ座間一般開放日などを通じ、キャンプ座間と地域は友好関係にあると感じています」
と、安藤さんは締めくくった。
 
陸軍士官学校から米軍キャンプの。戦前戦後の激動期にありながら、地域住民の利便性のために確保された生活道路「市道新戸相武台線」。その存在が、現在の地元の方々とキャンプ座間の関係の礎になっているのかもしれない。
 
 
 

取材を終えて


 
たまたまなのか、そうでないのか。地元の人々への取材を通じ、キャンプ座間に対して悪い話を聞くことはなかった。畳屋さんで聞いたように「思うところがあっても口に出さない」のかもしれないが、キャンプ座間と地域の関係は良好だという印象を受けた。
 
 
ー終わりー
 
 
取材協力
●SUSHI51
公式サイト/http://www.sushi51.com/

●「相武台のナベトロ遺跡をたどる会」
安藤和次郎さん

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  • まだ車を持っていた時に、このゲート前に迷い出てしまったような…。記憶が正しければ、あっぱれかながわ大行進に寿司ロールのお店が出ていたような…。

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