【横浜の名建築】旧柳下邸
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第28回は、豪商が贅を尽くした旧柳下邸。大正時代に建てられた和洋折衷の邸宅は、丁寧に暮らしていた頃の古きよき日本を追体験できる貴重な建物だった
ライター:吉澤 由美子
重心の低い日本家屋にすらりとした洋館がついた、和洋折衷の旧柳下(やぎした)邸。
大正時代に建てられたこの家は、根岸の高台で独特の魅力を放っている
明治時代後期、海が見晴らせる高台の根岸は景勝の地として外国人の住宅や、日本人の別荘地として人気があった場所。市電が走り始めて交通の便がよくなってくると、そうした別荘は次々に本宅化していった。
旧柳下邸もそうした中で誕生した邸宅。はっきりした建築時期は残っていないが、蔵の上棟が大正8年と棟木に記されていることから、西館や東館は蔵と同時期かそれ以前に建築されたと考えられている。
大正12年の関東大震災で一部被害は受けたが直後に修繕され、その時に洋館が増築されたらしい。
明治はじめの頃から横浜でも有数の「銅鉄引取商」だった柳下家。弁天通に「鴨居屋」という屋号の店を構えて金属の輸入業を営んでいた豪商だ。
表玄関の横に鉄製の立派な天水桶がある。丸に「加」が鴨居屋の屋号
店を切り盛りしていたのは、柳下マス夫人で、この家はマス夫人とその家族の本宅として建設されたと考えられている。
横浜市が土地を取得し、建物の寄贈を受けたのは1996(平成8)年。できる限り創建当時の姿に戻し、「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として一般公開されている。
室内には、柳下家の家紋である「横木瓜(よこもっこう)」が入った引き戸があった
旧柳下邸について教えてくださったのは、事務局長の倉澤正子さん。欄間や障子の桟などに優美な細工が残っている様子を「美人の趣」と表現されていた。確かにこの邸宅は、女性好みでどこか内向的な美しさにあふれている。
まろやかな和館とシャープな洋館の対比 和洋折衷の魅力
柳下邸は、小さな内玄関を持った西館、接客用の東館、そして当時はまだ珍しかった2階建ての洋館と蔵で構成されている。
西館と東館は入母屋造りの純然たる和建築。玄関前などの屋根には「むくり」と呼ばれるふくらみを持たせていて、まろやかで優しい印象を与える外観だ。表玄関の庇にもやわらかいカーブがついている。
表玄関の棟の端についている鬼瓦は手捏ね
洋館はすんなりとシャープだ。ハーフティンバー風に銅版で飾りがついた外壁と、フランス瓦葺きの屋根には銅の棟飾りがあり、銅鉄引取商だった柳下家らしい装飾になっている。
スマートな洋館。後ろに蔵が見える
銅版の飾りが一部赤っぽい色に見えるところは、第二次世界大戦中、金属の供出が行われていた時にそれを逃れるため木を模して塗られたという話も伝わっている。スクラッチタイルは戦後の改修で貼られた。
屋根には、明治初期に横浜で日本初の洋瓦として製造されたジュラールの洋瓦が2枚ほど使われていた。1枚は蔵の中で展示され、1枚は屋根に戻されているらしい。
居室として作られた西館 贅沢な接客用の東館
現在、見学者のエントランスになっているのは、門からゆるやかにカーブした坂を登り、建物の外側を回り込んだ先。
中に入ると廊下が東館に向かって伸びていて、左手に浴室がある。右手の台所があった場所は、事務室として使われている。
西館の廊下が東館への渡り廊下につながる。先は中庭に面した広縁
ひろびろとした脱衣室は廊下との間にある襖にはめ込まれた障子に松葉格子があって、脱衣室とは思えない贅沢な空間だ。
畳が敷かれ、浴室との境には松の床板
浴室の中もまた細部が凝っている。天井は折り上げ作りというこもった湿気を抜くための構造になっていて、横板には透かし彫りの換気口。
大理石の浴槽が置かれていたこともあったとか。現在は鋳物製の五右衛門風呂になっている
廊下は右手が茶の間に通じる広縁