明治時代に大人気だった外国人向けの土産「横浜写真」ってなに?
ココがキニナル!
白黒写真に彩色した「横浜写真」。明治時代に外国人向け土産として人気だったそうですが、どこが発祥?今もやっているところは?(aokabaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
明治時代に横浜で売られていた風景などの写真を「横浜写真」と呼ぶ。製版技術の普及などで明治30年代半ばに衰退し、現在、本来の「横浜写真」はない
ライター:秋山 千花
本物の「横浜写真」と対面
ここで実際に日本カメラ財団所蔵の横浜写真アルバムを見せていただくことに。
おおっ! なんだかすごく立派!
そして、けっこう分厚い
このアルバムは50枚組のもの。ほかに100枚組のものも作られていた。
貴重な品物なので取扱いも丁寧
なんだか「お宝鑑定団」みたい!
全盛期のころのアルバムは螺鈿(らでん)や象牙をあしらった蒔絵仕立ての立派な装丁で、お土産品として海外の人々に人気を得たのも、なるほど納得の一品である。
表紙には富士山。男性と女性の顔や手足には象牙があしらわれている
裏面は梅の花が描かれている
それではいよいよ本物の「横浜写真」とご対面。まずは我らが街・横浜を撮影した写真から。
横浜・本町大通り
彩色には日本画に使用する日本絵具が用いられている。紙になじみやすく、色調鮮やかな日本絵具は、写真の彩色にも適しており、「横浜写真」の芸術性を高める重要な要素のひとつともいえる。
桜木町にあった横浜駅
「横浜写真」と言えども、もちろん撮影場所は全国各地に渡る。
東京・吉原
それぞれ、写真下にキャプションがついているのがおわかりいただけるだろうか。このキャプションにつけられたナンバーや表記を見ることで誰が撮影したものなのかを知る手掛かりになるのだとか。
例えば「富士山」を撮影したものでも、その表記は「FUJIYAMA」だったり、「FUJI」だったり「FUJISAN」だったりと、人それぞれ。中には「FUZUSAN」などと誤ったローマ字表記なんかもあるらしい。
収集アイテムとしての「横浜写真」
実際に見る「横浜写真」には、やはり印刷物には出し得ない色彩の魅力がある。「桜堂」のオーナーとして古写真の売買にもあたる井桜さんに古写真収集について聞いてみる。
古写真に出会えるのは全国の骨董市や古書店など。その価値は1枚500円程度のものから、高いものでは名刺判サイズで50万円にものぼる高価なものまであるという。
「最近は忙しくてなかなか骨董市に行けない」と井桜さん
ちなみに井桜さんの名刺判コレクションの中で最も高かった古写真は、名刺版サイズのペリー提督の肖像写真でお値段50万円。この金額を高いとみるか、安いとみるか・・・
「その写真はたぶん日本に2枚 しかないんですよ。軍服を着ているペリー提督の肖像写真って、教科書や雑誌で一度は見たことがありますよね。そのほとんどが、明治30年代後半に加工して作られた画像なんです。私の持っているのはそのオリジナル」
筆者が歴史の授業中に添い寝をしたペリー提督はこんな感じ(日本カメラ博物館所蔵)
オリジナル写真では、軍服の左側一番下のボタンが外れているのだとか。もしかしたらペリー提督、腹が出ていたのかもしれない。我々の知るスマートに軍服を着こなす彼とは違う本物の姿。そんな逸話のある写真だから、井桜さんにとってそれは値打ちのある一品なのだという。
筆者は風景写真よりこういうのが好き
最後にもうひとつ「いまでも『横浜写真』をやっているところはあるのでしょうか?」という投稿者からの質問について。
井桜さんによると「海外にブルース歌手の写真を撮影して、手彩色をしているカメラマンがいるという話は聞いたことがありますよ」とのこと。ただ、これはあくまでも手彩色の技術を用いるカメラマンの話であり、「横浜写真」とは別の話である。
「横浜写真」という商業について言うならば、それは全盛期を迎えた後明治30年代中盤以降から急速に衰退してしまう。
その理由には、一つの版で数千枚が刷れ、かつ写真印刷に匹敵する画像が得られる「写真製版技術」の普及や、1900(明治33)年に施行された郵便規則によって使用が認められるようになった「私製絵葉書」(1枚2銭から10銭程度)の登場などが挙げられる。
箱根・富士屋ホテル
さらに、写真技術の進歩により、アマチュア写真家が続々と登場したこと、外国人旅行者の間にカメラが普及したことが「横浜写真」の需要減に大きく影響する。
こうした安価な代替品の登場により、需要を失い衰退の一途を辿った「横浜写真」。
「今なお製造・販売を行っている人物がいる」という話が、横浜写真師会にも専門家の井桜さんの耳にも届いていないことからも、「恐らく今はもうない」と言えるのではないだろうか。
調査結果としては非常に曖昧だが、筆者はこう思う。
「横浜写真」それは、今にあるものではなく、「明治」という時代背景・当時の技術も含めて存在した過去の優れた工芸品なのだ、と・・・
取材を終えて
「横浜写真」は日本各地の風景などの写真を外国人向けに販売していたもので、主に横浜で売られていたものを研究者が名付けたものだった。
そのエキセントリックな魅力だけは今なお色褪せることなく多くの研究者やコレクターたちの心をひきつける「横浜写真」。筆者もまた今回の取材でその魅力に大いにひきつけられた。
「横浜写真」の調査依頼。これは「歴史分野」でなく、「芸術分野」だったのかもしれない。
なお、日本カメラ財団では、同施設内にあるフォトサロンで2014年1月6日から特別展示「幕末・明治の富士」を、また同2月4日から古写真シリーズ27回目となる「―古写真に見る明治の東京―下谷区編」の展示を行う予定。古写真にご興味のある方はぜひ本物の魅力に触れてほしい。
―終わり―
一般財団法人 日本カメラ財団JCIIフォトサロン
住所/東京都千代田区一番町25
電話/03-3261-0300
休館日/月曜日
masさん
2014年02月02日 23時00分
こういう写真、非常に興味深いですね。当時の生活の様子や風俗の細部などを直に知る貴重な資料ではないでしょうか。是非、WEBで詳細画像を公開していただきたいものです。
Nipさん
2014年01月28日 00時42分
来日以前から日本各地を旅行した写真家ベアト。恐るべし。
幕張さん
2014年01月27日 20時18分
フェリーチェ・ベアトの横浜写真には、当時の日本の風景写真などの他に人物写真や風俗・民俗写真、報道写真も含まれています。中には10代前半とも見える芸妓(半玉)の全裸写真や、盗賊が磔で処刑された遺体写真等も着色して土産として販売されていました。どれも現代では貴重な歴史資料ですが、中には見るに耐えない写真も含まれています。