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横浜・菊名駅近くにある趣あるレンガ造りの橋台の歴史とは?

横浜・菊名駅近くにある趣あるレンガ造りの橋台の歴史とは?

ココがキニナル!

横浜線菊名駅の大口寄りに歴史を感じるレンガ橋台があり、周囲の風景から異彩を放っています。すでに役目を終えているようですが、この橋台が現役だったころの様子を知りたいです(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

小さなレンガ橋台の謎を追うと、100年以上前の横浜線開業当初の姿が浮かび上がってきた。橋の下にはかつて川も流れていた。心ない落書きに汚されたレンガ積みの橋台は、貴重な歴史的遺構だった

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ライター:結城靖博

用水路はいつ暗渠化されたのか?


 
ところで、この用水路が暗渠化したのはいつ頃なのだろうか?
それはかつて美しい水を湛え釣りやボート遊びで親しまれていた菊名池が、高度経済成長期の都市化の進行とともに汚染され、周辺地域の下水道整備が緊急の課題となる昭和40年代ごろの時代背景と関連する。
この辺りの事情は過去記事「菊名池公園の「菊名池」は超巨大だった? 幻の巨大池の謎を調査!」で詳しくレポートしている。懐かしい昔の菊名池の写真も収められているので、一読をおすすめする。


現在の菊名池。かつてはこの倍近い大きさだった

 
いずれにせよ、汚染の最大要因だった家庭排水の菊名池への放流をやめ、港北下水処理場が完成したのが1972(昭和47)年。そして、南北に二分された菊名池の南側半分にプールができたのが翌1973(昭和48)年。都市化により灌漑用水の役目を終えた用水路が暗渠となり、下水道化が進行していくのは、どうやらそれ以降のようだ。

横浜市水道局発行の『横浜下水道史』によれば、市内の主要幹線で管渠(開渠または暗渠)の整備が本格化しはじめるのは1968(昭和43)年以降のこと。しかし、下水道管の埋設工事を示す同書の「シールド工法一覧表」を見ると、菊名エリアの整備工事は1970(昭和45)年から1972(昭和47)年に集中している。
ただそれも主要幹線の話で、この地域全体に下水道整備が飛躍的に進むのは昭和50年代以降である。同書の「下水道普及現況図」を5年ごとに比較すると、1970(昭和45)年度末の時点ではまだ菊名周辺は主要幹線にしか下水道が見られない。1975(昭和50)年度末でも一部地域のみ。それが1980(昭和55)年度末の図では、処理済みエリアが一気に拡大している。

間違いなく言えるのは、横浜線の線路がかさ上げされた1972(昭和47)年より前、レンガ橋台が現役だった時代の長きにわたり、橋台の足下に用水路が流れていたということだ。

ちなみに暗渠化された「大豆戸菊名用水路」は、「幻の菊名川」とも呼ばれている。この呼称は「正式な菊名川は三浦半島にあるので」と、平井所長はあまり良しとしないが、暗渠は今でも水源の菊名池から辿ることができるという。
同地域では、暗渠化した道筋に打ち水をしながら「幻の菊名川」を再現する目的で始めたイベント「大豆戸菊名打ち水大作戦」が、毎夏、実施されている。
大人も子どもも参加する地域ぐるみの活動は、今では、打ち水を通して地球温暖化問題を考える取り組みに発展しているようだ。
 


菊名池から続く暗渠道。その始まり付近

 
 
 

もう一ヶ所あった横浜線開通当時の遺産


 
「このレンガ橋台のほかに、実はもう一つ、横浜線開通当時の貴重な遺産が、思わぬところに残っているんですよ」と、平井所長は言う。
そこは、レンガ橋台よりもさらに大口駅寄りの線路沿いに建つ「菊名記念病院」の前だった。
 


赤丸で囲った付近の病院寄り線路脇にそれはある(© OpenStreetMap contributors

 


注目すべきは矢印で示したこのフェンス

 


さらに注目すべきはこのフェンスを支える支柱だ

 
平井所長によれば、この支柱は、横浜線開通当時に使用していたレールを再利用したものだという。
 


グッと寄ってみる

 
すると、凹みの部分に薄っすらと何かが記されていた。筆者にはほとんど読み取ることができなかったが、この部分に記された文字から、いつ製造されたものか識別できるのだそうだ。

今やフェンスの支柱としてひっそり立ち続けるこの鉄の塊りの上を、約110年前の横浜線の列車が通過していたことを思うと、なんだか不思議な気持ちになってきた。
 
 
 

取材を終えて


 
無言で佇む小さなレンガ橋台。その表面は、今では無残にもスプレーで落書きされている。コンクリートの壁なら消すこともできるかもしれないが、このレンガ橋台から落書きを消し去ったら、繊細なレンガの表面に刻まれた歴史の痕跡も失われてしまうだろう。
 


レンガ橋台の心ない落書き

 
平井所長の話から、小さなレンガ橋台が貴重な歴史的遺構であったことがわかった。また、あの線路脇のさび付いたフェンスの支柱も。
おそらく横浜には、まだまだこうしたささやかな歴史の記憶が息をひそめているにちがいない。それを掘り起こし記録にとどめ保存していくことは、横浜というまちをより豊かにするためにも必要なことではないだろうか。
今回の取材もまた、そんな思いを強くさせてくれるものだった。
 
 
―終わり―
 
 
取材協力
公益財団法人大倉精神文化研究所
住所/横浜市港北区大倉山2-10-1
電話/045-542-0050(代表)
https://www.okuraken.or.jp/
 
参考資料
『わがまち港北』平井誠二著、『わがまち港北』出版グループ編集発行(2009年7月刊)
「シリーズわがまち港北 第186回」大倉精神文化研究所ホームページ
http://www.okuraken.or.jp/depo/chiikijyouhou/wagamachi_kouhoku_3/kouhoku186/
『横浜下水道史』横浜市下水道局発行(1993年3月刊)
 
 

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  • この落書きをした人間の目に、この記事が届きますように…。

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