横浜じゃないのに横浜餃子工房。なぜ「浜っこ餃子」という名前なの?
ココがキニナル!
今日の夜食は「浜っこ餃子」でした。(株)横浜餃子工房さんの製品のようですが、住所が平塚市でした。千葉にある某遊園地と同じ理屈でしょうか、社名も製品名も横浜の理由が知りたいです。(かにゃさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
かつて井土ヶ谷で飲食店を経営していたことと、湘南にちなんだギョーザの商標が取得できなかったため、社名・製品名ともに横浜を使用したそう
ライター:河野 哲弥
珍しいエリア外の番外編
投稿にあった横浜餃子工房、取材するにやぶさかではないのだが、平塚市は「はまれぽ」のエリア外。
この点について編集部に確認したところ、「名前が横浜だし、いいんじゃないの」とのザックリした判断が下った。という訳で、JR平塚駅から徒歩20分ほどの場所にある同社を、訪ねてみることに。
横浜餃子工房(平塚市菫平)の外観
見た目は一般の民家のようで、食品加工工場のような雰囲気は、外見からはうかがえない。販売だけを行う卸業のような会社なのだろうか。平塚市なのに横浜、今まさに、これらの謎が解き明かされようとしている。
意外な「株式会社横浜餃子工房」誕生の経緯
お話を伺ったのは、株式会社横浜餃子工房代表取締役の和田聖子(きよこ)さん。写真は恥ずかしいとのことで、娘さんの瑞穂さんと従業員のジョセフィンさんに、登場していただいた。
左が瑞穂さん、右がジョセフィンさん
聖子さんによれば、同社の創業は2004(平成16)年とのこと。なぜギョーザの製造を始めたのか聞いてみたところ、ご主人が競輪選手をしていたこともあり、安定した収入を別に確保するため、何か商売をしようと考えついたから、とのこと。
そこで、最初は、井土ヶ谷でラーメン店を2003(平成15)年にオープンしたそうだ。なかなか店を軌道に乗せることができず悩んでいたところ、翌年になって実家(現地)の1階に空きが出たらしい。そこで、全くの思いつきから、ギョーザの製造・販売を手がけることになったという。
建物内には、ギョーザの製造器が設置されていた
具と皮をセットするだけ、次々にギョーザが作られてくる
当初は、平塚市だったこともあり、「湘南餃子」などの社名や製品名を考えていたそうだ。しかし、既にそういった商標は数多く登録されており、横浜にラーメン店があったことと聖子さんの兄の発案で、現在の「浜っこ餃子」「横浜餃子工房」に落ち着いたようだ。
その後10年ぐらいは、井土ヶ谷の店舗と両立させていたが、やがて「浜っこ餃子」の人気が高まるとともに、ギョーザ一本でやっていくことになったとのこと。なお、同社のレパートリーは、「マイルド」と「ピリカラ」の2種類のみ。その人気の秘密はどこにあるのか、もう少し詳しいお話を伺ってみることにした。