神奈川県知事の黒岩祐治さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
神奈川県知事に当選した黒岩祐治さんってどんな人?
ライター:吉澤 由美子
フジテレビのキャスターとして、企画・取材・編集まで手がけた救急医療キャンペーンにより救急救命士制度を誕生させたジャーナリスト。フジテレビを退社後は、医療福祉大学大学院教授。そして、今回の神奈川県知事選挙に、民・自・公、相乗りで出馬し、大差で初当選。
「なぜ神奈川?」という素朴な質問から、選挙のこと、ソーラーパネルのこと…。50分間みっちりうかがってきました。
はまれぽユーザーからいただいた質問も体当たりで直撃!
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政治家になる夢と永久不出馬宣言、そして選挙戦
―政治家になろうと思われたきっかけは?
僕は出身が神戸なんですが、父親が鹿児島の人間で、薩摩隼人だと誇りをもっていた。天下国家を語り、国を動かすこと、それが素晴らしい生き方だとずっと教えられていて、小学校低学年から将来政治家になりたいと思っていた。
小さい頃は政治家になりたいと思っていた黒岩氏
そのままずっときて、早稲田の雄弁会に入った。その頃の雄弁会は、学生のサークルなのに派閥があって、派閥抗争していた。僕はそういうのが嫌いだから距離を置いたんだけれども、幹事長選挙でドロドロした権力闘争を生々しく体験して、これが政治の現実なんだ、僕は全然向いてないと思った。
それで、雄弁会を出る時に「永久不出馬宣言」っていう論文を出したんです。
逆にメディアには僕の考える政治ができる可能性があるんじゃないかと。テレビだったら、行動することによって実際になにかを変えられる。そう思ってフジテレビに入社したんです。
―そしてメディアで救急医療を訴えてこられたと
救急車の中に医療がないということを徹底的に取材して、FNNのスーパータイムっていう、夕方のニュースで2年間で100回以上、救急医療の1点に絞ってキャンペーンをした。世論が盛り上がってきて、行政が動いて、国会が動いて、最終的に自民党から共産党まで全会一致で救急救命士法が誕生した。まさに、それが僕にとっての政治だった。
さすがは元キャスター。話がうまい
その後、15年以上ずーっとキャスター。その中で政治家に向き合っていたので、毎回出馬要請が出ていました。でも、一切、受け付けなかった。「永久不出馬宣言」していますから(笑)
―今回はその永久不出馬宣言を曲げられたわけですよね?
僕に話がきた時は、3月2日ですから、震災の前ですよね。で、迷っている時に大震災。自分はジャーナリズムの人間として「いのち」っていうことにこだわって、しかも救急医療っていう問題が原点だった。たとえば災害救急医療、これも救急医療のひとつのジャンルだったんですね。ずっと自分が抱えてきたテーマがあって、震災があったこの時、知事にっていう声がかかっていることに運命的なものを感じました。
―なぜ神奈川県だったんでしょうか?
たぶん他の県でって言われたら受けなかったでしょう。神奈川の感性っていうか、県民の感じっていうのか、けっこう自分と近いなと思っていました。
出馬要請を運命的に感じたという
僕はその昔、大学1年生から6年間、二俣川に住んでました。
それに、僕が中学の時に、父親が東京に転勤になって。僕は神戸で下宿したんですが、親が住んだのが藤沢だったんですよ。2年くらいですけれども。夏休みや春休みには、江の島だなんだって見て回っていましたからね。やっぱり神奈川に対しては愛着があった。
―選挙戦はいかがでしたか?
今回の大震災で、東北地方が大変なことになったって思ったわけですよ。で、選挙で県内をまわって、実は「神奈川が大変なんだ」と気付いた。箱根にいったら全然人がいない。ひとっこひとりいない。がらんがらんの箱根ですよ。全然客がこない箱根っていうのが何日間持ちこたえられるのか。旅館がパタパタって倒れたら、旅館に入っている業者からなにから全部バタバタバタっていく。危機が目の前に迫っている。
さらに、あの時は計画停電もあった。たとえば、冷凍マグロの倉庫なんて、計画停電なんかされたら溶けてだめになっちゃう。5月までもたない。そこで、一番のカギはエネルギー、電気だろうというのが見えてきた。そこでソーラーパネルがでてきたんです。それで途中からソーラーパネルを持ち歩いて、「脱原発! 太陽光の時代だ!」「これが太陽エネルギーを電気に変えるんです」っていう話をしました。これが、エネルギーのことですごく不安に思っているみなさんの気持ちとフィットしたのかなって思います。
応援に駆け付けた片岡鶴太郎氏
―そのソーラーパネルですが、構想はいつ頃から?
「19世紀は石炭経済、20世紀は石油経済、21世紀は太陽経済」だとにらみ、もともと数年前から「太陽経済の会」っていうのをやっていましてね。日本有数の科学者や法学者経済学者集めた太陽エネルギーについての専門家チームです。
ソーラーパネルを持って演説したことも
神奈川県知事選に出ることになって、「県が保証することで、タダでソーラーパネルを普及するソーラーバンクはできないか」っていうことを相談したんです。できた電力を売ることでローンを返していく。余剰のお金は被災地への義捐金にする。これが金融の専門家も交えて「イケる」となって。
試算したら4年間で200万戸くらいつけられる。これは原子力発電所、1.5基分にあたる。それが脱原発。それとともに、ソーラーパネルを設置する仕事が山ほど増える。雇用3万人分まで、これが失業対策。こういう厳しい情勢の中で、前向きのエンジンを回すっていうのが大事です。