昭和の香りがただよう横浜の日用品市場ってどんなところ?
ココがキニナル!
市内に「天王町日用品市場」「市沢日用品市場」とう長屋風の商店(ミニ市場)がありますが、現存する「日用品市場」はどれくらいありますか?全盛期にはどこにどれだけのありましたか?(町田県民さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
市場の形が残っていても空き店舗が多く、現存といえるのは5ヶ所程度。1920~30年代に58ヶ所新設され、1970年代には約90ヶ所がにぎわっていた。
ライター:山口 愛愛
継続の厳しさを知る
日用品市場といっても、想像がつかない人もいるだろう。どの地域にどのくらい存在するのか、Googleマップで「日用品市場」と検索してみたが1軒も表示されなかった。それほど馴染みの少ないものになっている。
「あった」と思ったがどれも「市場」違いだった
日用品市場(正式には日用品小売市場)は卸し専門の市場ではなく、小売商店(青果店、鮮魚店、雑貨店など)が集まったもので、大正時代から導入された業態だ。屋根付きで奥行きのある建物の両側に小売店が並ぶ、長屋風の商店街のようなもの。戦後に路上で野菜などを販売するヤミ市から発展した市場が多いため、このような形が主流だ。
まずは投稿にあった2つの市場を探してみよう。情報が少なく、はっきりとした場所はわからないが、保土ケ谷区の天王町へ足を運ぶ。通行人数人に市場のことを聞いてみても「わからない」と言われてしまった。
天王町シルクロードの近く。国道16号の向こうは、松原商店街
天王町日用品市場へ
相鉄線天王町駅付近に着いたものの、場所がわからず途方にくれる。こんなときは母に電話をするしかない。松原商店街で生まれた記者。母は昭和40~50年代に天王町で喫茶店を営んでいたので、この辺の立地に詳しい。
話をすると「銭湯(保土ケ谷浴場)の前あたり」という。銭湯は2006(平成18)年で姿を消していたが、横浜信用金庫付近というヒントをもとに場所がわかったので潜入してみよう。
「え?」。その場に行ってみたが、足がすくんだ。薄暗い入口。奥からすうっとよどんだ空気が漂ってくるようだ。
荒んでいるが、奥にかろうじて蛍光灯がついていた
細い通りに古めかしい工具や空き缶、ダンボールなどが置いてある
「鶏肉中村屋」の看板。精肉店があったのだろう。冷蔵ケースも置き去りに
トタン屋根の高い天井には所々穴が
時代から置き去りにされている空間の中でゆっくりと歩みをすすめる。心細いが灯りが見えてきた。まさか、この中に営業している店があるのだろうか。近付くと、コインランドリーの看板が。
コインランドリーが営業中!洗濯機が1台まわっていた
ランドリー内は清潔だが、周辺には商店の廃棄物で散らかっている
通路の中央は十字になっていたので、別の出口から外へ。こんな佇まいの市場の外側に中華店があった。「休業中」とあるが、2013年に入ってからの営業日が書いてあったので、「不定休」のお知らせなのだろう。
「上海飯店」の前のホワイトボードに2月中の連休のお知らせが書いてあった
この実態を母に伝えると「昭和20年代は、『買い物といえば伊勢佐木モールか天王町商店街』といわれるくらいにぎわっていたのに・・・」と残念がっていた。昭和40年代は銭湯の帰りにこの市場で買い物をし、ラーメンを食べるのが楽しみだったという。中には鮮魚店もあり、アサリやカキが美味しくて近所の人がこぞって買っていたと懐かしんでいた。
市場の建物は残っていたが、現存しているとはいいがたい状況だということを確認し、この場をあとにした。