舟で通勤!? 「鶴見川舟運復刻プロジェクト」とは?
ココがキニナル!
かつて盛んだった和舟による「舟運」が「鶴見川舟運復活プロジェクト」で私達も乗れたり通勤に使えたりするのでしょうか(オオバさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
舟の運行は年2回程度を目指して活動している。通勤手段としては難しいが、イベントに参加すれば舟に乗れる!
ライター:ほしば あずみ
舟による物流、「舟運(しゅううん)」。鶴見川におけるそれを現代に復活させようという、その名も「鶴見川舟運復活プロジェクト(以下復活プロジェクト)」があるという。
いったいどんなプロジェクトなのか。キニナル投稿にあるように、和舟が今後身近な存在になるのか?
復活プロジェクトの会長、長谷川武明さんと内山岳彦さんに、発足のいきさつや、舟運の歴史なども伺ってみた。
舟運復活プロジェクト会長の長谷川さん(左)と、内山さん
「鶴見川に和舟を浮かべたい」
長谷川会長によると、鶴見川は全長が約42.5Kmと神奈川を流れる相模川(109 Km)などと比較してもさほど長くなく、また高低差も(比較的)ゆるやかだったため、古来より舟運に適していたそうだ。
「港北区新羽(にっぱ)には、西方寺(さいほうじ)という古刹(こさつ/由緒ある古い寺)があり、その創建は、かつて鎌倉にあったお寺が、室町時代に鶴見川を遡上(そじょう/さかのぼること)して移ってきたものと伝えられています。新羽という地名も、『荷場(にば)』が転訛(てんか)したといわれており、陸路輸送が整備される以前、古くから鶴見川が物流の要だった事がうかがえます」と長谷川会長。
「舟運の歴史がある鶴見川に、和舟を浮かべてみたい、というのがそもそものきっかけなんです。思いつきで有志を募って立ち上げたのが2007(平成19)年、私の地元が新羽なので新羽からはじまったのですが今は港北区、鶴見川中流域中心に活動が広がり、会員も100名ほどになりました。歴史が好きな人、地域の文化を子どもたちに伝えたいという人、参加にかける思いはいろいろですね」
舟運と、その周辺の歴史とは?
「鶴見川の河岸(船着場)は必要に応じて生まれ、不要になると消えていきました。江戸時代には、『御用船(ごようせん)』と呼ばれる舟で年貢米を運びました。昭和20年代までは、下肥(人糞)を運んでいたと、古老の証言があります」と長谷川さん。
現在の新羽橋のやや下流に、太尾橋という橋がかかっており、その側に太尾河岸があったという。
かつての太尾橋(提供:復活プロジェクト)
昭和20年代の太尾橋と河岸の様子(森菊夫筆 提供:復活プロジェクト)
満潮時にはここまで河口からさかのぼってくる事ができたそうだが、その蛇行する川の流れが水害のもとでもあったため、河川工事が行われ、1983(昭和58)年竣工の新羽橋開通に伴い、太尾橋も河岸も姿を消した。
旧太尾橋付近の、現在の鶴見川
舟運プロジェクトは2013(平成25)年3月、太尾河岸跡に石碑を建てた
石碑の傍の2本の榎(エノキ)は、一里塚の役割だった木の子孫だという