あの頃のヨコハマ(2013年6月14日号)
ココがキニナル!
あの頃のヨコハマ(2013年6月14日号)
ライター:はまれぽ編集部
このコーナーは、過去に掲載された記事の中から、昔の横浜の街並みが分かる記事をピックアップしました。横浜の歴史を振り返ることで、さらに横浜を好きになっていただければ幸いです。
モダンかつ先進的だった「同潤会アパート」 大正の終わり頃から昭和初期にかけて建てられた「同潤会アパート」。 今は無き、中区山下町と西区平沼町の同潤会アパート跡地がどうなっているのかを調査しました。
「横浜にぎわい座」の土地にはかつて何があったのか 2002(平成12)年に建設された「横浜にぎわい座」。その土地にはかつて横浜大空襲にも耐えた建物があったのだとか。その歴史を追ってみました。
米軍に接収されていた金沢区「小柴貯油施設」 小柴貯油施設とはその昔、旧日本軍が油を貯蔵するために金沢区に設けた広大な施設。1948(昭和23)年に米軍に接収され、米軍の航空機燃料を貯蔵する施設として使われてきましたが、その後はいったいどうなったのでしょうか。
かつて資材置き場だった「横浜駅西口」 いつも多くの人たちでにぎわっている横浜駅西口ですが、そこには昔、資材置き場として使われていた時代があったのだそう。そこで、その歴史を振り返るとともに、時系列に沿ってその時代を追ってみました。
映画「コクリコ坂」の舞台となった1963(昭和38)年の横浜 2011(平成23)年に全国公開された「コクリコ坂」。その舞台となった高度成長期真っ只中の1963(昭和38)年、当時の横浜の街を振り返ってみました。
次回は6月21日(金)にお届けします。お楽しみに。
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うーさん
2013年06月16日 13時00分
せっかく過去の記事をピックアップするのなら、いただいたコメントに対してのリアクションも欲しかったですね。
大平山さん
2013年06月14日 15時55分
券売機がなつかしい