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かつて東急東横線東白楽と反町駅の間に、幻の駅があった?

ココがキニナル!

先日、大倉山に行って知ったことですが、以前 東横線東白楽と反町駅の間に駅があったそうです。どこらへんなのか、何か痕跡が残ってないか、調べていただきたい!(はまことさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

かつて「新太田町駅」があったが、横浜大空襲の焼失により廃駅に。一時は日本貿易博覧会の臨時駅として復活するも、現在では石碑しか残っていない

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ライター:河野 哲弥

東横線の消えた駅を探せ



今回の投稿の件につき、東急電鉄広報に確認したところ、かつて神奈川区に「新太田町駅」という駅が存在していたそうだ。しかし詳細については、同社社史などに書かれている以外は、分からないという。
そこで、東横線沿線事情に詳しい、大倉精神文化研究所の平井誠二先生に相談してみた。
 


大倉山記念館内にある同研究所を訪ねた


すると、「蔵書などを探してみましょう」とのことで、いくつか資料を当たっていただけることになった。



ほかにもあった、消えた駅



平井先生が「最も詳しく載っている」と持ってきてくれたのは、『回想の東京急行Ⅰ』(萩原次郎、宮田道一、関田克孝著/大正出版)という書籍。これによれば、反町~横浜駅間にあった初代「神奈川駅」など、東横線だけでも4つの駅が戦後に廃止されたようだ。
 


路線図の一例、1930(昭和5)年発行の『東京横濱電鉄 目黒蒲田電鉄沿線案内』
(大倉精神文化研究所所蔵)

 

「神奈川駅」や「新太田町駅」などの記載がある


肝心の「新太田町駅」だが、開設されたのは1926(大正15)年2月14日。高架式のホームで、ガード下に木製の駅舎があったとされている。

ところが、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で焼失したため、同年6月1日付で営業を休止した。その後1949(昭和24)年3月、反町公園で「日本貿易博覧会」が開催されると、臨時駅として一時的に復活。しかし、同年6月、博覧会の終了とともに再び廃駅となったようだ。
 


同地区の地下線化工事で、当時の遺構が発見された


こうして、しばらく日の目を見なかった「新太田駅」だが、1995(平成7)年、東横線の地下線化工事に伴う駅舎の解体工事中に、その通路跡からかつての案内板が発見された。
 


左側には「渋谷」、右側には「横濱」などの文字が確認できる


資料に載っていたのは以上となるが、そのとき、平井先生が妙なことをつぶやいた。「どうして『太田町駅』ではなかったんですかね、『新太田町駅』というからには、旧駅があったのだろうか」。

そこで、開業当時にあたる1926(大正15)年発行の『東京横濱電鉄沿線名所案内(版権の関係で画像使用不可)』を確認してみたところ、なんと、その表記は「太田町」駅だった。

「考えられることは2つ」と平井先生。
1つは、同沿線案内が間違っていたということ。そしてもう1つは、幻の駅のそのまた幻にあたる「太田町駅」が存在していたかもしれないということである。また、こうしたことは、建設予定地が当初計画から変更された場合などにも起こりえるのだとか。
 


この謎、ひとまずお手上げか


それ以上の手がかりは得られなかったので、現在の「新太田町駅」跡を訪ね、住民の人に何かご存じないか聞いてみることにしよう。