横浜駅西口はかつて資材置き場だったのか!?
ココがキニナル!
横浜駅西口タクシー乗り場あたりはかつて砂置き場だと年配の方から聞きますが、いまの繁栄ぶりからみると全く想像ができません。昔の写真などを見てみたいです。(ばらさまさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
正確な記録が残っているものでは、石炭や砂利の置き場だった時期があった! その後の急発展で今は面影ゼロ!
ライター:田中 大輔
大都市横浜にあって一番の繁華街、横浜駅西口。いつ行っても多くの人でにぎわっているのはご存知の通り。
巨大な駅とつながるJOINUSや高島屋の駅ビル、駅前にはダイヤモンド地下街への入り口もあるし、タクシー乗り場やバスターミナルもある。
これだけ栄えた場所がかつて、資材置き場に使われていたというのは本当なんだろうか。
あの土地、元々は・・・
手始めに、横浜駅周辺の土地のあらましを調べてみた。
現在、横浜駅がある辺りの場所は、明治から大正にかけて造られた埋め立て地。その骨格になったのは、高島町にその名を残す高島嘉右衛門(たかしま かえもん)によって明治初期に埋め立てられてできた土地だ。
埋め立てられた直後から、スタンダード石油とライジングサン石油という2つの石油会社が土地を所有し、工場を操業させていた。その内、ライジングサン石油が持っていた土地にほぼ現在の横浜駅が建てられている。
1928(昭和3)年に完成した、3代目横浜駅 ※提供横浜市史資料室
で、残りのスタンダード社が所有していた土地というのが、資材置き場に使われていた可能性のある部分。
現在の相鉄西口からタクシー乗り場の辺り一帯までを含む24688㎡に及ぶ広大な土地で、JOINUSや高島屋もこの土地の一部だったようだ。
今回は詳しい話を聞くため、横浜都市発展記念館の岡田直(おかだなおし)さんに話をうかがった。
市史資料室から「一番詳しい人!」と紹介いただいた岡田さん
岡田さんは、4年前に「横浜ステーション物語」という企画展を開催した際に、明治時代からの西口の歴史を含め、横浜駅の歴史を研究したという方だ。
西口は資材置き場だった!!
あの場所が資材置き場だったとは想像しにくいが・・・、と質問を向けると、岡田さんは「あの辺りは、戦後2~30年で一気に開発された場所なんです」と説明してくれた。「地価で言うと、1965(昭和40)年に伊勢佐木町を抜いて以来、横浜で一番高い場所。全国的にも例がないくらいの勢いで急激に発展していったんです」。
現在の繁栄ぶりが短期間に築かれたものということなら、それ以前は閑散としていたのかもしれない。
1965(昭和40)年ごろの横浜駅。たった20年でここまでの都市に ※提供横浜市史資料室
そこで本題。
実際に、資材置き場だったことはあったのだろうか。
岡田さんからは「資材置き場として使われていた時期が長くありました」という答え。
資材置き場だった事実も含め、その移り変わりを時系列に沿って紹介しよう。