港南の高校跡地を利用している、考古学研究施設がある!?
ココがキニナル!
元県立野庭高校が公益財団法人かながわ考古学財団野庭出土品整理室という施設になっていますがどんな施設なんでしょう。(山下公園のカモメさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
神奈川県下の発掘調査を行い、報告書の発行や埋蔵文化財の活用などを目的とした公益財団法人。校舎の中では、貴重な出土品が整理・復元されている
ライター:河野 哲弥
現地には、高校の校舎が建っていた
投稿にあった「かながわ考古学財団野庭出土品整理室」とは、県内の考古学調査を行い、遺跡や古墳から出土した土器などを保管・研究する公益財団法人。
さっそく取材を申し込み、教えていただいた場所に向かってみると、そこには一棟の校舎があるのみだった。はたして、ここが目的の場所なのだろうか。
看板には同財団の名前が書かれているが、見た目は校舎そのもの
玄関には、よくある下足入れなどが並び、研究施設といった雰囲気は感じられない。受付にアポイントの旨を伝えると、「ピンポンパンポーン」と、校内放送のようなアナウンスが流れる。
そんな中、出迎えてくださったのが、同財団で調査課長を務める植山英史(ひでし)さん。
玄関にある展示ケースの前に立つ、植山さん
名刺交換するまでは一抹の不安があったが、どうやらこの場所で間違いないようだ。
それにしても、どうして校舎の中に、この施設が設けられたのだろう。財団の活動とともに、詳しい話を伺ってみることにしよう。
一時は廃止も検討された、財団の歴史
植山さんによれば、同財団は1993(平成5)年、公益の付かない「財団法人かながわ考古学財団」として、南区中村町の県立埋蔵文化財センター内に設立されたそうだ。
以来、神奈川県の運営する調査組織として、埋蔵文化財の発掘調査などを受託することになった。
整理中の出土品が大量に積まれていた
翌年の1994(平成6)年には二俣川に出土品整理室を開所。その後、2003(平成15)年に神奈川県立野庭高等学校と神奈川県立横浜日野高等学校が統合されると、二俣川の出土品整理室が別に利用されることとなり、現在の「野庭出土品整理室」を開所した。
県としても、跡地利用が喫緊(きっきん)の課題であったため、同財団に候補地として推奨。双方にメリットのある移転だった。
敷地内には、旧・野庭高校の記念碑が残されている
改装の時間や予算もない中、校舎を使った一見ユニークな活動拠点を得た同財団だが、2年後の2005(平成17)年に、衝撃的な出来事が訪れた。
「民間にできることは民間で」のスローガンを推進していた当時の松沢成文神奈川県知事が、発掘調査の経費削減を目指して入札制度を導入し、県の組織である財団の廃止を表明したのである。
この事態にマスコミは、「文化財調査は市場原理になじまない」などと、一斉に反対意見を報じた。また、財団の存続を望む有志らが3万人以上の署名を集め、県の教育委員会に廃止撤回の要望書を提出するに至った。
これらの動きに対し神奈川県は、ウルトラCとも思える体制変更で対応することになった。つまり、旧財団の機能はそのまま残しながらも、県から独立した運営の公益法人として、組織替え(リニューアル)したのだ。
こうして2011(平成23)年、現「公益財団法人かながわ考古学財団」が、誕生することになった。
元教室がそのまま、作業スペースとして使われている
では、民間組織となった今、収益はどのようにして確保しているのだろう。
植山さんによると、例えば道路や鉄道などを新たに造る場合、事業者はまず予定地に文化財が埋もれていないか確認する必要があるそうだ。その試掘調査はもちろん、仮に遺構などが発見されると、本調査が実施される。
保土ケ谷区の仏向町団地建て替えに伴って発掘された、縄文時代の住居跡
こうした場合の費用は、民間の開発の場合は民間事業者が、県や国が事業者の場合はその公共団体が負担する。
現在、神奈川県の実施する開発事業は、都道府県が行うものとしては全国でも珍しい発掘調査の「入札制度」を用いて、民間発掘会社からも事業者を募り選定しているとのこと。
「野庭出土品整理室」では、発掘調査のほかにも、出土品の復元や保管などを行い、最終的に「調査報告書」としてまとめることを目的としている。
同財団がまとめたリーフレットや小冊子など
さて、おおまかな流れが分かったところで、いよいよ整理室の内部を案内していただくことになった。ここは元校舎、いったいどんな光景が待っているのだろうか。