かつて綱島は温泉町として有名だったって本当!?
ココがキニナル!
綱島が昔温泉地だったという証拠が知りたいです(380さん)/昔、東横線の綱島駅前は温泉街として有名で、温泉旅館がひしめきあっていたそうです。その当時のことがすごく気になります(ねこぼくさん)
はまれぽ調査結果!
綱島駅は戦前まで綱島温泉駅であり、多くの温泉宿、芸者がひしめいていた。温泉が湧き出た記念碑が、綱島街道沿いにある。
ライター:松崎 辰彦
かつて温泉街だった綱島
東急東横線の綱島駅周辺は、その昔温泉街だったことが知られている。温泉が盛んだったのは1955(昭和30)年ころだったともいわれている。
そのころ、綱島駅周辺には80軒近くの温泉旅館があったともいわれ、多くの芸者が肩をならべて歩き、現在とは違う風情を見せていた。
しかし現在では、温泉は駅近くにある「東京園」ただ一つ。赤い煙突をシンボルに、孤塁を守っている。
綱島にある「東京園」
東京園のシンボル赤い煙突
「東京園」経営者の中村ゆう子さんは回想する。
「今から60年ほど前の私の子どものころ、小学校から帰る途中で三味線の音が聴こえてきました。芸者も100人から150人ほどもいて、毎日目にしました」
東京園の経営者中村ゆう子さん
いまの綱島からは想像もつかないが、かつてこの地は三味線の音色が鳴り響き、着物を着た粋なお姐さんたちが歩く保養地だったのである。
「そのころは、小さな京都みたいなところでした」
東京の奥座敷ともいわれ、ミニ京都だった綱島。しかしその栄華も長くは続かなかった。
「1964(昭和39)年に新幹線が開通し、熱海や箱根に気軽に行くことができるようになって、こちらには人が来なくなりました」
綱島の温泉に関しては『歴史とともに、その顔を大きく変貌させてきた街。はま旅Vol.61「綱島編」』を参照されたい。
東京園は源泉かけ流しの正真正銘の温泉。有名作家が原稿の執筆場所にするなど、多くの人の交流の場にもなった。
「最近の人は、温泉や銭湯の入り方(のマナー)を知りませんね。体をお湯で流したりせずにいきなり湯船に入って、周囲の大人に叱られています。私たち大人が教えてこなかった責任です」
東京園の内部
ただ一軒残った温泉・東京園。かつての温泉町の余韻を今に伝えている。