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横浜「1000ぶら」商店街探訪Vol.23 横浜最古のアーケード商店街、金沢文庫「すずらん通り商店街」の歴史ある商店へ

ココがキニナル!

横浜最古のアーケード商店街を見続けた半世紀以上続く「小田薬局」「シューズセキ」「遊とぴあKOBAYASHI」「三光商会」「京城苑」で話を聞き1000円で温故知新

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ライター:永田 ミナミ

「雨の降る日に」



朝から空を埋めていた雲は次第に厚みを増し、京急金沢文庫駅を降りるころには小雨がぱらつきはじめていた。夜には本降りになると朝のニュースは言っていたし、「もうすぐ雨も止んで2人たそがれ」、というわけにはいかなそうだ。
 


夕方には晴れそうもない冷たい雨の降る「水曜日の午後」、1000円を握りしめ歩きだす


すずらん通り商店街の公式サイトを見ると「商店街でアーケード、屋根付きの通りを始めたのはすずらん通りが日本で初」とある。1950(昭和25)年に10軒ほどの飲食店から始まったすずらん通りの前身「文庫新道睦会(むつみかい)」ができたころは、まだ道路も舗装されていなかったという。
 


現在はもちろん舗装されているが、アーケードはない。チェーン店もちらほら


日本最古のアーケードというのはそそられる。当時の様子を知りたい。
そこで、商店街でいちばん古くからある店を訪ね歩きたいと話すと、独り身になった孤独からかなぜか同行してきた編集部・山岸は「もうひとつ何かやることを考えてください」と言う。そこで、1月もまだ8日になったばかりということで、本来は2日におこなうものではあるが、書き初めをお店の方にお願いすることにしたのだった。
 


「マイ・ホーム・タウン」



すずらん通り商店街といえばもうひとつ忘れてはならないことがある、と思っている読者もいるかもしれない。そう、すずらん通り商店街にはあのシンガーソングライター、小田和正氏の実家があるのである。ちなみに金沢文庫駅の発車メロディは小田氏『my home town』。
 


1941(昭和16)年創業の小田薬局は、開業当時の姿が復元されている


ノスタルジックな趣漂う外観が、「めぐる季節」のなかで変わらない「たしかなもの」としての存在感をあらわしている小田薬局は、残念ながら地域との繋がりを重視しているので宣伝はせずメディアの取材もすべて断っている、とのこと。しかしながら、はまれぽの「1000ぶら」で商店街を盛り上げたいという主旨を説明すると、金沢文庫の街や商店のあるべき姿について考えを聞かせてくださった。
 


ご厚意で外観の写真と、店内の一部のみ撮影させていただけた
 

1951(昭和26)年、開業から10年後の家族写真


例えば、京都に600年以上続く畳店のような歴史ある店があるのは、作る人、運ぶ人、売る人、買う人のすべてがそろい、相互に育み合う「四方よし」の土壌ができているからで、商店が長く続くためにはそういう環境をつくらなければならないという話。それから、商店街を活気づけるために関東学院大や横浜市立大といった大学と京急電鉄、地域が一体となって地域活性をはかるべきだという話。さらには鎌倉時代の金沢文庫設立から江戸時代に塩田として江戸に塩を送る基地のようになっていたという歴史にいたるまで、和正氏によく似た小田さんの話はどれも幅広く、奥深かった。
 


現在2階に併設されている喫茶店「友&愛」が元町で営業していたころからのレシート
 

裏面にはまさに小田さんの話そのままのメッセージが書かれていた


家族写真の横のパネルに、「太平洋戦争が始まる1941(昭和16)年に開業した当時は、まだ駅舎と畑とわずかな家々しかなかった」とあるから、小田薬局とともに商店街が始まったといっても過言ではなさそうだ。

しかし、多忙な小田さんをこれ以上お邪魔するわけにはいかない。そこで、詳しいことを知りたければ、と紹介していただいた、小田さんのひとつ上の世代の店主がいるという「シューズ セキ」へと、われわれ「冬の二人」は向かったのだった。
 


「僕等の時代」



小田さんから紹介していただいたことと取材内容を伝えると、詳しい話を聞かせていただけることになった。
 


近くの西柴中学校指定の店でもあるシューズセキ

 
関さんによると、1947(昭和22)年に当初15、6軒だった商店街は、「文庫新道睦会(しんどうむつみかい)」という名前だった。その後、1952(昭和27)年ごろに日本で3番目の全蓋式(ぜんがいしき/道路全面を覆った)アーケード商店街になったのだという。アーケード完成時にはNHKや新聞も取材に来るほど注目されたそうだ。
 


商店街を覆うアーケードが映る写真


その後アーケードは、笹下釜利谷道路の高架ができる時に、アーケードとぶつかってしまうので無償で撤去させてほしいと市から要請され、老朽化していたこともあり1985(昭和60)年に受け入れたのだという。なるほど、だから現在アーケードはないのだ。
 


この高架のちょうど向こう側あたりまでアーケードが続いていた
 

1985(昭和60)年、アーケードが撤去された直後のすずらん通り
 

現在お店は娘さんに任せているとのことだが、とてもお元気な関国雄(せきくにお)さんは85歳


関さんは「うちはそんなに古くないから」と言うが、シューズセキは今年で創業59年というから開業は1955(昭和30)年ということになる。ここもほぼ商店街の歴史と歩みを同じくしてきた店だ。すずらん通り商店街には、それだけ長く続いている店が多く残っているということでもある。

アーケードのほかにすずらん通り商店街が時代に先駆けて始めたものとして、1950(昭和25)年ごろから始まった「夏の縁日」がある。縁日は現在も変わらず6〜8月の10日、20日、30日におこなわれているが、当時縁日はまだめずらしかったといい、1965(昭和40)年ごろまでは大変なにぎわいで、通りに人がひしめいて店の外に出られないほどだったそうだ。
 


この外を多くの人が歩き、縁日を楽しんでいた


国雄さんの時代のお話を伺った後、今のお店でおすすめの商品を聞くと「菊地武男の靴」だそう。職人が丁寧に作っていて、外反母趾やハンマートゥなどにいい靴だということで、店内を見渡してみると確かにたくさんの「菊地武男の靴」が置かれている。
 


「オーダーメ―ドの履き心地、菊地武男の靴」
 

菊地の「菊」の字の「米」の部分が菊の花模様になっているところが素敵だ
 

店内には足のトラブルの症状を説明する手作りポスターも

1000円で街歩きをする話を伝えて何か買えそうなものは、とたずねてみると「1000円でいくつか買わなきゃいけないなら300円くらいじゃないとだめだろう。うちは靴磨きのクリームでも600円以上するよ」と言っていただいたので、この先のことを考え、泣く泣く購入を断念。
 


残念だが、たしかにおっしゃる通りだ


最後に「今年の抱負を漢字一文字で書き初めしてください」とお願いすると、輝かしい年になるよう「輝」という字がいいということに。ただ自分で書くのはいいよ、と固辞されたので「ではここは私が」と腕まくり気味に代筆を買って出た編集部・山岸による「輝」が最初の文字として書き込まれた。
 


なかなか達筆ですね、山岸さん


そして、われわれは続いてシューズセキよりも古いと紹介していただいたお店へと向かったのだが、そこはまるで「忘れてた思い出のように」「キラキラ」した場所だった。