野毛山公園にある「野毛山配水池」が閉鎖されている理由とは?
ココがキニナル!
野毛山公園にある『野毛山配水池』伝統的で特徴のある構造に見えますが、入りたいのに門は閉鎖されているので無理です。何故一般公開しないのか? 中の様子はどうなっているの?(港署のゆうじさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現行の耐震基準を満たしていないため、安全に配慮し旧野毛山配水池内には立ち入ることができない。敷地内は緑多く、朽ちゆく施設が残されている。
ライター:細野 誠治
謎のドームと水道の父
皆さま、ご存じでしょうか? 野毛山公園内にある配水池。正確には配水池“跡”・・・ですが。
野毛山公園の一画に、フェンスで囲われて立ち入りができない箇所があります。
そこが、旧野毛山配水池(跡)。
市民の憩いの場所、野毛山公園
案内表示にも、ちゃんと書いてあります
投稿や写真の通り、中に立ち入ることはできない模様。実際に足を運ぶと確かにフェンスに囲まれ遠望するしかない。
ドーム状? の何か
園内の展望台から望む。ドーム状のものが二基見える
フェンス前には“ヘンリー・スペンサー・パーマー”の胸像
この像のパーマー氏は横浜における“近代水道設備の父”と評される人物。
問題の配水池跡、ドーム状の施設はかなり古いものなんじゃないか?
キニナル。そして普段は入れない場所、すごくキニナル。
よし、調査を始めよう。
横浜市民の水を作る
まず大前提として「配水池」とは何なのか? 配水池とは・・・
「上水道の配水量を調整するために、一時的に蓄えておく池」
・・・ということ。
浄水場から各家庭などに送られている水を一旦、溜めておく保管場所だ。
簡単にいうと“水の倉庫”。災害時に飲料水を確保する役割もある。
大切なライフラインのひとつだ
ではナゼ、跡地なのに立ち入れないのか? どうして残されたままなのか?
水道局に聞いてみよう。旧配水池を管轄している「横浜市水道局・西谷浄水場」に向かう。
相鉄線・上星川駅から「すいどうざか」を登り切る
ここが、もうすぐ100周年を迎える西谷浄水場
こちらの西谷浄水場はテレビのロケ地としても有名で、最近では「天才物理学者が事件を解決する」ドラマで使われていたとか。
実に面白い・・・
浄水場管理係のお二人に話を聞くことができた。
西谷浄水場管理係長の小田英隆氏
同じく管理係から小幡健也氏
ずばり、キニナル投稿の疑問をぶつけてみた。
—どうして旧野毛山配水池は閉ざされているんでしょう?
「施設の使用を終えたのと、老朽化のためです」と小田氏。
旧野毛山配水池は1930(昭和5)年に運用が開始され、1995(平成7)年にその役目を終えたそうだ。
84年前に造られた
高度経済成長、横浜市の人口増加により水道使用量が急増。新たな配水池が必要となり、1967(昭和42)年に現在閉鎖されている旧配水池の隣に「新野毛山配水池」を造り、徐々に役目を移行していったという。
現行の配水池は公園の芝生広場の下に設置されている
歴史を分かり易く、まとめてみよう。
今から131年前の1883(明治16)年、神奈川県から依頼を受けたイギリス人のヘンリー・スペンサー・パーマー氏がこの地に浄水場の必要性を説いた。工事が着工され4年後の1887(明治20)年に完成。野毛地区や桜木町方面に水道が供給されるようになった(ありがとう!)。
横浜の近代水道の父、パーマー氏
二度の拡張工事が行われるも、1923(大正12)年に起こった関東大震災により、パーマー氏の造った浄水場は全壊してしまう。
当初の浄水場の様子。園内の掲示板から
横浜市民に安全な水を供給するため、7年後に再建されたものが今回のキニナルの旧配水池。ちなみに、設計者が誰なのか資料が現存せず、分からないそうだ。
保管されていた貴重な設計図(コピー)。著者の書名がなく分からない
そして前述の通り、水道使用量の増加に伴い、1967(昭和42)年に新しい配水池を作成。新旧の併用期間を経て、バトンが渡されたのだ。
小田氏が言う。
「1993(平成5)年に実施した耐震診断で、旧配水池は震度6以上の揺れに対する耐震性が低いということが分かりました」
このため、安全を考えて閉鎖されているのだ。
解体は考えてはいないのだろうか?
「先の震災もあり現在、横浜市全域で“地震に強い水道管”への移行を進めています。まずはそちらを最優先事項としていますので、旧配水池は現段階では“閉鎖”という措置をとっています」
予算の都合もあるのだろう。残すべきか、それとも解体した方がいいのか?
お金だってかかる。まずは横浜市民への安定した水の供給が先だ。
まずはライフラインの強化を。これでいいんですよね、パーマーさん!