保土ケ谷で研究されていた日本初のペットフード「ビタワン」と、その大きな広告看板について教えて!
ココがキニナル!
かつて東海道・横須賀線保土ヶ谷~東戸塚間、熱海方向左側にビタワンの工場があり、斜面に沢山の犬小屋が見えました。犬が放し飼いされてたという話も聞きましたが本当でしょうか?(紀洲の哲ちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
犬は存在したが、犬小屋に見えたのは運動場の退避用の小屋。日本初のペットフード製造会社が認知度を高めるために電車の乗客に向けてアピールしていた
ライター:山口 愛愛
犬小屋風の屋根で周囲へアピール
JR東海道線、横須賀線から見えたペットフードの広告「ビタワンの看板」といえば、ピンとくるハマっ子も多いのではないだろうか。筆者は幼少期に保土ケ谷区に住んでいたこともあり、この投稿を読んで、「そういえば、いつの間に看板(と施設)がなくなっている・・・」と思い返した。犬小屋があった記憶はないのだが、本物の犬まで存在したという話が浮上。これはキニナル。真相を確かめに、ビタワンの発売元、日本ペットフード株式会社へ。
体を張るばかりではなく、たまには企業取材も
横浜を飛び出し、本社のある東京都品川区の天王洲ファーストタワーへ。営業部の営業企画課リーダー、肥後橋(ひごはし)さんを直撃。
子どものころからワンちゃんを飼っていたという肥後橋さん
真相の前に、まずは保土ケ谷研究所とビタワンの歴史を遡る。「ビタワン」は日本で初めて開発、販売されたドックフードで、元は1946(昭和21)年に設立された協同飼料株式会社が、「愛犬の栄養食」として1960(昭和35)年に発売したのが始まり。同社が1962(昭和37)年に犬舎を建てた。これが投稿にもある、保土ケ谷の研究所にあたる。
横浜市保土ケ谷区権太坂1丁目の丘の上にあった研究所(以下、『日本ペットフード50年史』より)
右上に赤い屋根の犬小屋がある
1963(昭和38)年にペットフード事業部が独立して会社組織となり、こうして日本ペットフード販売株式会社(現日本ペットフード株式会社)が誕生した。実は会社より、ビタワンの歴史の方が長いのだ。
1972(昭和47)年には静岡工場を建設し増設を繰り返していたが、広い敷地内で研究所と工場を一体化するため、1999(平成11年)に保土ケ谷研究所を閉鎖し、静岡に移転した経緯がある。
つまり、ビタワンの看板や犬小屋があったいたのは1999(平成11)年までということだ。
「ビタワン」には「ビタミン」「バイタリティ」「一番」の意味も
肥後橋さんに会社の沿革を説明いただき、「保土ケ谷研究所のまわりに犬小屋があり、ワンちゃんを放し飼いにしていたというのは本当なのでしょうか?」と切り出す。
「ワンちゃんがいたのは本当ですよ! でも放し飼いにしていたわけではなく、研究室の飼育棟でワンちゃんを飼っていて、運動時間に芝生の運動場に放していたんです」と説明。
研究所と芝生斜面の一部
「犬小屋もあったのですか?」と問うと、「犬小屋に見えたのは、雨が降ったときや、日除けのための休憩所の屋根ですね。生活は飼育棟の中なので、常に芝生にいるわけではありません。周囲へのPRのためにも、分かりやすく犬小屋の形にしていたらしいです」と肥後橋さん。
もちろん、このアピールとは「あれだけ目立つ場所なので、主に電車に向けてですね」
なるほど。肥後橋さんは1998(平成10)年の入社なので、研修期間に数回足を運んだだけだそうだが、当時、研究所に勤務していた社員さんから情報を集めてくれた。
「大きな看板の印象が強いのですが」と聞いてみると、2013(平成25)年、創立50周年を迎えたときに製作した「日本ペットフード50年史」を出し、おもしろい資料を見せてくれた。
社内報『日本ペットフード50年史』の情報も
「斜面の看板の反響は大きく、1972(昭和47)年からは3コマ漫画風にしてアピールしていたんですよ。例えばこれは、ワンちゃんがサッカーをしていて、ビタワンが飛んできたらボールそっちのけになり、相手の亀チームにゴールを決められてしまうというものです」
ボールよりも
キニナルのは・・・
ビタワン!
この3枚の看板は約3ヶ月で新しいものに付け替え、6年間くらい続けたそうだ。電車から眺めることを想定して、横に流れるストーリーを楽しめるようになっている。
これらのPRは、ビタワンの歴史やドックフードの認知度を高めるための広告戦略としての理由があった。
日本ペットフードは、日本で最初のドッグフード販売会社。創業当時は、家の外で飼っている番犬に残飯をあげていた時代。まずは「ドッグフードとは何か?」と認知してもらうことから始まり、バランスの取れた愛犬の栄養食が保存性にも経済的にも優れている、と訴求してきた。
50年前に発売されたビタワン
テレビやインターネットの情報が溢れる現代と違い、地道な普及活動が必要。
「当時は、ペットショップなどは身近にほとんどなかったんですよね。お米屋さんが各家に配達していた時代で、地域に密着していたんです。さまざまな営業活動の一つとして、ビタワンのロゴの下に米屋の名を入れる形で、看板を付けていきました。当時は、看板による普及活動が大きかったんです」
これは、子どものころよく見かけた!
当時の店先の看板。今でも残っている店があるようだ
このように、看板やパッケージなどに使われるキャラクターやロゴも重要だ。
いくつかの
候補の中から
決まったキャラクター(写真は初代パッケージ)
キャラクターも劇画タッチなものから、シンボルマークのように親しみやすいタッチに変わってきたそう。
キャラクターはビタワン50周年の際に一新。看板同様に歴史の変遷を感じる。
時代と変化
ともに
変化してます
だからこそ、当時、電車の車窓から多くの人が目にする研究所の敷地は、かっこうのアピールの場となっていた。
今でも日本最大級の施設でペットの飼育研究をしている日本ペットフードは、「しっかりとワンちゃんの飼育や研究もした上で、製品を製造していることをアピールするため」に、犬小屋風の待避小屋をつくり、運動場でワンちゃんを運動させていたということなのだ。
ちなみに、運動場の横には「野鳥の森」や噴水もあり、木々に野鳥フードの試作品を置き研究していたが、商品化には至らなかったそうだ。真夏に社員総出で噴水掃除をするのが恒例で「電車に乗っていた人たちはどのように見ていたか・・・」と思い出を振り返る社員もいるという。
試作品置き場
噴水も電車から見える位置にあったそう
この飼育棟では、「実験動物」という扱いはしておらず、獣医も付き添い、最後まで愛情を注ぎ飼育していた。2種類の試作品を置き、どちらを選ぶか、実際にどのくらい食べたかなどのリアクションや、毛づやや健康状態などを観察するなどの研究をしているそうだ。
移転した静岡飼育棟は、室内に床暖房と広い庭があり、さらに環境が整っているそう。犬と猫はそれぞれ約70頭飼育され、順番に外遊びで運動しているが外部からは見られないので、電車からでも見えた光景は貴重なシーンだったようだ。
現在の静岡工場の施設
「ワンちゃんたちの相性を考慮し、順番に運動場に出したりしています。飼育係は約70頭の名前を覚え、名前で指示を出しています。扉を開けるだけで、みんな戻って来るんですよ。適切な食事と運動でみんな長生きです」と肥後橋さん。
そんな話を聞き、静岡工場へ移転することになり、ワンちゃんが見られなくなって心配していた乗客もいたのではないか? と思ってしまう。
「移転する際には、例の大きな看板でお知らせし、その様子が神奈川新聞でも取上げられたんですよ」と聞き、安堵したのであった。動物はもちろん、お客さんへの気遣いも考えられていたとは、なんだかいい話である。
1999(平成11)年6月21日の神奈川新聞の記事より