【横浜の名建築】横浜市開港記念会館
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第4回は、横浜市開港記念会館。横浜3塔のひとつ「ジャックの塔」で有名なこの建物は、多種多様で華やかな魅力の中に波乱にとんだ歴史を持っていた!
ライター:吉澤 由美子
キング(神奈川県庁舎)、クイーン(横浜税関)、ジャック(横浜市開港記念会館)。
ビルがまだ少なかった頃、海からも目立った3つの塔に、外国船の船員たちがトランプのカードにちなんでつけた愛称。近年では、この3つをまとめて「横浜3塔」と呼び、同時に見ることができるスポットを回ると願いが叶うという言い伝えがある。
重厚なキング、優美なクイーン、華麗なジャック。横浜3塔はそれぞれ違った魅力を持ち、市民に愛されてきた港のシンボルだ。
横浜3塔の建物の中で、もっとも長い歴史を持つ横浜市開港記念会館
その中でも、横浜市開港記念会館は、創建当時の姿を保ったまま現役の公会堂として使われている唯一の建物。
公会堂建築の代名詞とされ、建物が丸ごと全部、重要文化財となっている。
数々の部屋は、会議室として利用可能だ
案内してくださったのは、ジャックサポーター(案内や解説のボランティア)をされている天野禎祐(あまのていゆう)さん。
ダンディな紳士『天野ジャック』さんは、博覧強記で頼りになった
いくつもの様式や意匠、用途を持つ重層的な魅力
横浜市開港記念会館の魅力は、さまざまな要素を組み合わせてひとつにまとめた複雑なハーモニーにある。
化粧タイル、花崗岩、天然スレート、銅版、赤レンガなど多彩な仕上げ材が使われた外装。
地階部分はコンクリート造、地上部は煉瓦造、高さ35mの時計塔は鉄骨煉瓦造という、類例のない構造。
多種多様な形態を持つドームや尖塔で飾られた複雑なスカイライン。
2F広間から資料室の間にあるステンドグラス。船や籠、そして鳳凰と、モチーフは和
内部や装飾には、ゴシック、ローマンカトリック、ギリシャ、日本などの意匠を混在させ、美しいものを貪欲に取り入れて組み上げた建物だ。
また、横浜市開港記念会館は、公会堂のほか、初代商工会議所という要素を併せ持った建物として設計されている。
中庭をはさんだ右側が商工会議所部分
終戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)に接収された時も、公会堂は映画館、地下はダンスホール、商工会議所部分は女性将校の宿舎として利用されるなど、ここでもいくつかの用途に使われていた。
そんな、たくさんの魅力が混然一体となった横浜市開港記念会館の歴史は、波乱に満ちたものだった。
歴史に翻弄されながら、見事に復元
この建物は、横浜開港50周年を記念し、横浜市民からの寄付を募り、「開港記念横浜会館」として1918(大正7)年に建設された。
資料室には創建当時、そして再建時の貴重な資料が飾られている
赤レンガ建築における様式意匠の到達点とも言われた開港記念横浜会館は、1923(大正12)年の関東大震災で、外壁と時計塔を残し、内部を全て焼失し、屋根ドーム群も欠落してしまう。
落成後たった5年という時期に起きたこの奇禍に、建設に携わった人々の心痛はいかばかりだっただろうか。
復旧工事が竣工したのは、1927(昭和2)年。創建時と同じ設計スタッフが計画にあたったが、残念ながらこの時、屋根ドーム群は復元されなかった。
第二次世界大戦後の1945(昭和20)年から、開港100周年にあたる1958(昭和33)年までは米軍に接収され、「メモリアルホール」と呼ばれた。
返還されたのは、1959(昭和34)年。「横浜市開港記念会館」という現在の名称になったのもこの時だ。
そして、1985(昭和60)年になって、創建時の設計図が発見されたことを契機にドーム復元の機運が高まり、復旧工事がスタート。1989(平成元年)に、大正時代そのままの姿に戻った。
復元された美しい屋根は、神奈川県庁の屋上から見ることができる
完全によみがえった横浜市開港記念会館は、国の重要文化財の指定を受け、現在に至っている。
洋の東西が出会い、融合した意匠の数々
昨年末に放映されたNHKのTVドラマ『坂の上の雲』では、主人公の兄、秋山好古を演じた阿部寛が、白い軍服姿で登場するシーンのいくつかを、この建物で撮影した。
トイレのドアは部屋名をかけ変えて、阿部寛が出てくる場面を撮影した
この階段を降りるシーンや、講堂で演説する場面もあったとか