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地元の人は意外と知ってる!? 港南区へ伝わる伝説、横浜刑務所のそばにある「鰻井戸」ってなに?

ココがキニナル!

横浜刑務所の近くに「鰻井戸」なるものがあり、通るたびに気になっています。看板が立ってはいるのですが、あっさりとしか書かれていないので、是非、調べてください。(しげさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

鰻井戸は病にかかった北条実時が、観音様のお告げで2匹の鰻が住んでいる井戸の水を飲んで快復したという内容の港南区に伝わる昔ばなしの舞台だった。

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ライター:橘 アリー

「鰻井戸」の様子は!?



ウナギと言うと、夏バテ防止のためにウナギを食べる土用の丑の日が有名である。
ちなみに、2015(平成27)年の土用の丑の日は7月24日と8月5日。
 


香ばしい匂いが食欲をそそる「横濱八十八(やそはち)」のウナギ


そんなウナギに関係する井戸が、横浜刑務所の近くにあるという。

場所は・・・
 


県道22号線、通称・笹下釜利谷(ささげかまりや)道路の港南区笹下1丁目
 

旧湘南信用金庫港南支店の横。門扉の奥、写真のほぼ中央にあるのが「鰻井戸」


ちなみに、キニナル投稿にある横浜刑務所(横浜刑務所職員宿舎)から500メートルほどの位置である。
 


黄色のところが鰻井戸の場所
 

鰻井戸は、道路から5メートルほど入ったところに、ひっそりと祀られている


キニナル投稿に「看板にあっさりと書かれている」とあるように、看板には、井戸に関する内容が簡潔に書かれていた。
 


井戸の手前側には、看板が設置されている


看板によるとこうだ。鎌倉幕府を治めていた北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき)が、1275(健治元)年に病にかかった。その後も金沢の城で療養していたが一向に快復しない。

そこで家臣が紀伊国那智山の如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈念したところ、実時の枕元に観音様が現れて「西北に2里(約7.8km)行った場所に、井戸があるので、その水を飲むと快復する。井戸には頭の斑紋がある2匹のウナギいて、それが病から救う霊物である」と告げられたそうだ。
 


二匹のウナギが泳いでいた・・・(フリー画像)


そこで井戸の水を取り寄せて飲んだところ、実時は1日1夜で快復したという。

快復後、実時は井戸を訪れるとウナギが泳いでいたので「うなぎの井」と名付けた。その後「うなぎの井」は諸国に知れ渡り、水を汲みに多くの人が訪れたが、実時が亡くなった後、2匹のウナギもいつとなく消え失せた。

そして、この井戸に関する縁起書(井戸の由来が書かれているもの)は、港南区笹下の三河屋にあった、とのこと。

現在の鰻井戸はブロック塀と門扉で閉ざされているので中へ入れないが・・・
 


アップで撮影するとこのような様子である。正面の「三」は三河屋の印か?


そこで、詳しい内容について、看板に記載されている横浜市教育委員会文化財課へ問い合わせてみた。

横浜市教育委員会文化財課によると「鰻井戸」の看板は、地域の歴史に関するものを紹介する目的で設置したものだそうだ。また、看板に書かれている内容は、金沢文庫の初代館長である関靖(せき・やすし)氏が書いた『金沢文庫の研究』に書かれていたと教えていただけた。しかし、これ以上詳しい内容は分からないとのことだった。

では、地域の方々は鰻井戸をどのように思っているのだろうか?

鰻井戸の前を通りかかった数名のご近所の方々に聞いてみたところ、ここに井戸があることは知っているが特に興味を持ったり気にかけたりすることはない、とのことだった。
 


「鰻井戸」近くの関町内会館でも聞いてみた


すると、井戸の存在を知っていても、特に気にかけている人はいなかった。しかし、小学生の子どもたちは、学校で地域の歴史を習った際に「鰻井戸」の話を知り写真を撮りに来たりしているそうである。

井戸にはウナギがいたとのことなので、近くを流れる笹下川(ささげがわ)にウナギがいたことがあるのか聞いてみたところ、今から50~60年くらい前には、ウナギやハゼなどがいたとのことだった。
 


現在の笹下川。やはりウナギもハゼもいない・・・


現地の様子が分かったところで、次は「鰻井戸」の詳しい内容について。