昭和の風情が残る鶴見駅付近の巨大商業ビル「フーガ」はなぜ「フーガ」?開発の歴史と知られざる名前の由来を徹底解明!
ココがキニナル!
鶴見駅西口には「フーガ1」「フーガ2」「フーガ3」という3つの商業ビルが古くからあります。この「フーガ」って何?西口の歴史とともに関連する情報を調べて頂きたいです。(kappeさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「fuga(フーガ)」という名前は1985年、西武グループ社長・堤清二氏がデザイナーに依頼し「複数で奏でる」という意味でネーミングされた
ライター:細野 誠治
鶴見西口、フーガ3兄弟
長らく工事が行われ、すっかり駅舎とその周辺がキレイになったJR鶴見駅東口。
駅ビルもバスロータリーもキレイになりました
そんな鶴見。が、今回のキニナルは西口について。JRの線路を跨ぐと景色が一変します。ガラリと変わった東口に対し、西口は落ち着いた雰囲気を醸す街並みとなっています。
曹洞宗・総持寺の最寄り駅でもある
鶴見線のホームを過ぎて左へ降りると、そこは西口。
ガード下を潜れば西口に到着!
写真の通り、東口とはかなりの差、のような・・・。
そして横断歩道を越えた先、左側に「fuga(フーガ)1」があります。
「フーガ1」にはSEIYUと横浜市鶴見公会堂と2つのテナントが入居
鶴見公会堂は6階と7階部分
フーガ1と連絡通路で結ばれたフーガ2は飲食店などの入居が多く
計42のテナントが入っている
さらにフーガ2の後方にはフーガ3が建っている。
フーガ3は企業やクリニックなど計17のテナントが入る
鶴見駅西口、直近。この場所に建つ3つの建物がフーガ。
3つの位置関係(GoogleMapより)
さて、どうしてフーガという名前なのか?
道行く方に聞いてみるも皆、スルー・・・
というワケで素直にフーガの管理事務所へ。
すると「フーガ1の1階にテナント入店している『鶴見写真機店』の方が立ち上げ当時のころからのことを知っている」と教えられた。
街の写真屋で、中古カメラも販売している
オーナーの方に来意を告げると「それじゃあ、管理事務所で話しましょうか」と。
鶴見写真機店・代表取締役の加藤明春(あきはる)氏
再びフーガ1の2階、管理事務所へ
鶴見の成り立ち、京浜工業地帯と住宅地
前述の通り、フーガ立ち上げに参加した加藤氏はカメラ屋のご主人ということもあり、昔の鶴見西口を8ミリフィルムで撮影し保存していた。
今から50年ほど前、鶴見駅西口の豊岡商店街(加藤氏 撮影)
鶴見駅西口界わいのことをお聞きするには、うってつけの人物。
鶴見駅西口の変遷とともに、フーガ誕生について伺ってみよう。
すると「昔のこの辺りを知る人は、私らで最後かもしれない。代替わりをしてね、先代の方たちが亡くなりはじめたんでね」と加藤氏。
取材に同席いただいた鶴見駅西口地区管理運営協議会・事務局長の鈴木正夫氏
まず鶴見駅西口の前に、反対側の東口の成り立ちから簡単に説明を。
「東口側は昔、海だったんですよ。それを実業家だった浅野総一郎さんが音頭をとって1908(明治41)年ごろから埋め立てをした。その埋め立てられた土地が、京浜工業地帯なんです」と加藤氏。
東口方面は埋め立てられた土地
実業家だった浅野氏は鶴見の総持寺に眠っている
「では西口は、どうだったか? 西口は古くからの住宅地で、工場地帯の社宅などが多く建てられたんです」
西口はベッドタウンとして発展してきたそうだ。
かつての西口・豊岡通り。住宅地を当て込んだ商店街が形成されてゆく
時代が進むにつれ、京浜工業地帯は縮小を余儀なくされる。工場だったところにマンション群が立ち並ぶように。
鶴見駅の駅舎は新橋・横浜間に鉄道が開通した年と同じ1872(明治5)年。西口は1920(大正9)に開設された。
約50年前の鶴見駅西口。正面に見えるのが駅舎