【横浜の名建築】近代建築の父レーモンド設計 エリスマン邸
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第8回は、外人墓地の隣にあるエリスマン邸。シンプルでモダンなこの建物には、日本を深く愛した3人の外国人の思いが詰まっていた。
ライター:吉澤 由美子
繊細優美な山手111番館と質実剛健なエリスマン邸は、横浜山手を代表する対照的なイメージの洋館。
ともに昭和初期を代表する建築家によって山手の地に建てられ、何人かの所有者が大事に住み続けた。
山手本通りに面し、外人墓地の隣という抜群のロケーションで、観光客にもよく知られた存在
今回紹介するエリスマン邸は、もともと1926(大正15)年、ワシン坂の山手127番地に建てられたもの。
マンション建設のため解体され、1990年に元町公園の現在地に移築された。
案内していただいたのは、財団法人横浜緑の協会 エリスマン邸館長の髙村美恵子さん。
「シンプルですが、毎日のように新しい魅力を発見できる奥深い建物です」と髙村館長
マリンタワーの見えるダイニングの窓。館長はここの景色がお好きだとか
建築家レーモンドと施工主エリスマン
近代建築の三大巨匠のひとり、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテル建設のため来日した際、助手として連れてきた建築家が、アントニン・レーモンド。
来日したレーモンドは、自然と融合した日本の伝統美に魅せられ、第2次世界大戦の期間を除いた44年間を日本で過ごし、「近代建築の父」と呼ばれている。
ライトの影響を残しつつ、レーモンドらしい簡素な美しさを基調としたエリスマン邸
エリスマン邸を設計したのは、レーモンドがライトの元から独立して間もない時期。
レーモンドは設計をする際に、まずそこに住む人の暮らし方や必要とされる空間を考え、インテリアを含めた内装を決めてから、それに合わせて外観を設計した。
設計を依頼したのは、生糸貿易商社「シーベルヘグナー商会」の横浜支配人、スイス生まれのフリッツ・エリスマン。
入口にはエリスマン邸のプレート。上にある明り取り窓のグリルは鎧戸と同じ青緑色
フリッツ・エリスマンは建築を依頼するにあたって、暖炉を作るようリクエスト。
全館スチーム暖房のこの邸宅だが、応接室にはその暖炉が残っている。
また、エリスマン夫人が日本人であったことから、バスルームとトイレは別の場所に設置されている。
玄関を入ると広々とした廊下があり、各部屋は半ば独立しつつも、部屋同士は直接行き来できるようになっている。
玄関を入ってすぐの廊下。奥の階段下は、貸しスペースの地下ホールに続く
なお、創建時は和館も併設され、洋館の厨房から出入りできるようになっていたが、残念ながら和館は移築されなかった。
玄関脇にある明治時代の「デルビル型電話機」を復元したものは、使用可能な公衆電話